その歴史を紐解いていくと、関東大震災のころまでさかのぼります。大震災では、東京の下町が焼け野原と化し、人々の郊外への移住が進みました。そこに目をつけたのが、西武グループの創始者、堤康次郎です。国土計画(後のコクド)の前身である箱根土地は、震災後、「大泉学園」駅北口から数キロほど離れた練馬区から埼玉県新座市にかけての土地を購入。「大泉学園都市」として分譲を開始します。
学園都市としたのは、移転先を探していた一橋大学の前身、東京商科大学の誘致を試みていたからです。大学の存在で文化的な要素をプラスし、街のイメージを高めようと考えたのです。しかし、東京商科大学の移転先は現在の国立市になり、誘致計画は頓挫。分譲時の学園都市という名だけが残る結果になったのです。
日本のアニメーションは、ここ大泉学園から始まった
駅名の謎が解けたところで、駅周辺の様子を見ていきましょう。駅前は北口、南口、双方にペデストリアンデッキがあり、周辺の商業ビルや高層マンションにアクセスができます。
北口に直結するのは、2015年、再開発で誕生した複合施設「リズモ大泉学園」。100m弱のタワーマンションと商業施設「Grand Emio大泉学園」からなる複合施設で、商業施設内には、スーパーや書店など、日常使いに便利な28のショップが展開しています。
南口には北口に先立つこと2002年。再開発によって、「練馬区立大泉学園ゆめりあホール」などが入る再開発ビル「ゆめりあ」や、商業施設「ゆめりあフェンテ」がオープンしました。この商業施設にもスーパーやドラッグストア、100円ショップなど、さまざまなショップが揃っています。
また現在はコロナ禍で様相も一変しましたが、以前は駅前で外国人観光客の姿をよく見かけました。「なぜ、こんなところに?」と思うでしょうが、そのヒントは、前出の電車の発車ベルにあります。
駅と「リズモ大泉学園」を結ぶペデストリアンデッキは「大泉アニメゲート」と呼ばれ、アトム(『鉄腕アトム』)、メーテルや星野鉄郎(『銀河鉄道999』)矢吹丈(『あしたのジョー』、ラム(『うる星やつら』)など、誰もが知っているアニメのキャラクターの等身大の銅像が設置されています。実は大泉学園は「ジャパンアニメーションの発祥の地」で、アニメファンの聖地。ジャパニーズアニメの人気により、外国人観光客の来街が増えていたのです。
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