2000年4月以降大暴落…ITバブル崩壊3つの理由
しかし2000年4月以降、ITバブルは崩壊し、光通信は20営業日連続ストップ安となるなど、IT関連銘柄は大暴落していきました。
ITバブルが短期間で終わった理由は大きく3つあります。
第一に、株式市場でIT関連企業が実力以上にもてはやされ、株価が急騰し過ぎたことです。IT技術そのものは発展したことに間違いないのですが、ビジネスとしては未熟な企業も多く、なかには不祥事を起こす企業や投資詐欺まがいの事件を起こす例もありました。
一例として、1999年に開設した東証マザーズ第一号上場企業のニューディール(旧リキッド・オーディオ・ジャパン)は、不祥事が相次いで表面化し、反社会的勢力との関係も取り沙汰され、2009年には上場廃止となっています。
ITバブル崩壊の第二の理由は、IT関連企業以外の分野は、依然として昭和バブル崩壊から平成不況にかけての痛手から立ち直れていなかったことです。
日産自動車が経営危機に陥り、カルロス・ゴーン氏が経営再建に乗り出したのもこの時期です。金融機関も不良債権の処理はほとんど進んでおらず、大手銀行は生き残りをかけての合併や再編を折り重ねていく途上でした。したがって日本経済全体を束ねてみれば、経済対策の効果で一時的に回復していただけであり、構造的にはまだまだ弱いままの状態だったのです。
そして第三の理由は、そのように日本経済が弱い状況のなかで、日本銀行が利上げに踏み切ったことが痛打となっています。
日本銀行は山一證券の破綻を筆頭とする金融危機に対応するため、1999年には政策金利をほぼゼロにまで引き下げる「ゼロ金利政策」を導入していました。しかしITバブルで景気が見かけ上は回復したことで、2000年8月にゼロ金利を解除して政策金利を引き上げました。その結果、2000年12月から景気が後退局面に突入してしまったのです。
ITバブル崩壊後、3年ほど株式相場は低迷しています。2003年4月には、日経平均はITバブル崩壊後最安値の7603円まで下がりました。この時私は大和証券で課長代理として働いていましたが、どの株を買ってもまったく儲からず、損をする一方でした。
しかし日本の外に目を向けると、金利が引き下げられている局面だったので、世界的にはバブルが継続していました。大和証券全体で米国やドイツ、フランスなどの30年国債を積極的に販売し、それら金融商品は2003年にかけてほぼ一貫して値上がりしたため、これら外国債券の売買でしのいでいました。