どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。今回取り上げるのは、東急電鉄東横線と目黒線、横浜市営地下鉄グリーンラインの「日吉」。

大学移転で学生街の性格が強くなった田園都市

「日吉」は横浜市港北区に位置する、東急電鉄東横線と目黒線、横浜市営地下鉄グリーンラインの接続駅です。目黒線とグリーンラインは、当駅が始発駅。1日の乗降客数は東横線が15万人強、目黒線が5.5万人強、グリーンラインが8.5万人強となっています。

 

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日吉という地名は、「日吉」駅西口から徒歩10分強の「金蔵寺(日吉不動尊)」に天台宗の鎮守神である山王権現(日吉権現)が祀られていたことに由来するといわれています。

 

江戸時代、日吉周辺は武蔵国橘樹郡とされていましたが、1889年に日吉村が誕生。1937年、日吉村は分村し、一部は川崎市、一部は横浜市に編入されることになりました。

 

駅の開業は、1926年。東京横浜電鉄(現・東急東横線)の「丸子多摩川(現・多摩川)」〜「神奈川」(「反町」と「横浜」の間に存在した駅)が開通する際に誕生しました。東京横浜電鉄は同線の「田園調布」と同様に、英国の経済学者エベネイザー・ハワードが提唱したガーデン・シティ構想をもとに、駅周辺を開発しました。現在駅前に残る放射状の道路は、その計画によるものです。

 

日吉といえば、「慶應義塾大学 日吉キャンパス」。1929年に現・東急電鉄より寄付された日吉台の土地に、「慶應義塾予科」が移転してきたのが始まりです。1939年には「藤原工業大学(現・慶應義塾大学理工学部)」が日本で最初の私立工業単科大学としてキャンパス内に開校。戦中は日本海軍の連合艦隊の司令部として使われていたこともあり、キャンパス内には大規模な地下壕が残っています。戦後、一時的にキャンパスはGHQに接収されますが、1949年には解除。その後「慶應義塾高等学校」や「慶應義塾普通部」が日吉キャンパスに移転してきました。

 

駅周辺を見ていきましょう。駅直結の商業施設「日吉東急アベニュー」の地下1階から地上3階の各フロアには、生鮮食品や惣菜、ファッション、雑貨、家電量販店、飲食店など、日常使いできる店が揃い、何かと重宝します。

 

駅の東口には慶應義塾大学が、西口には、普通部通り、中央通り、浜銀通り、メイルロード、サンロードの5本の通りが扇状に広がり、商店街「日吉商店街協同組合」を形成。学生ニーズに応えるリーズナブルな店やチェーン店、地域に根ざした個性豊かな個店など、様々なジャンルの店が並んでいます。学生が多いので、全体的に物価は安い印象です。

 

駅周辺は学生が多く、活気あふれる雰囲気ですが、商店街を抜けた先の高台は、風致地区に指定されるエリアがあったりと、閑静な住宅街が広がっています。

 

このような日吉ですが、近年、交通インフラの再整備、充実で注目を集めています。2008年にグリーンラインが開業。同年、目黒線が延伸開業。さらに当駅から「西谷」駅まで結ぶ相鉄・東急直通線の工事も進行中。こちらは2022年度の開業予定で、都内、横浜両方面にアクセスする結節点としての機能が強化されます。

 

慶應義塾大学日吉キャンパス
慶應義塾大学日吉キャンパス

 

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