自分を捨てた「エイドリアン」にリベンジを誓う
心の中に〝光り輝くスーパースター〟を戴いただいている私は、ハゲている人を嫌いではありません。しかし、それと自分がハゲても平気かどうかは、まったく別の話です。誰でも、ハゲたら輝くわけですが、それを、文字どおり明るくギャグにできるか、できないかは人によって違います。周りからすると、ツッコミやすい人と、ツッコミにくい人がいる、ということです。
「俺なんかハゲだからさ!」「本当にツルツルだな、おいハゲ!」と、仲間と明るく言い合える人も、実際にいらっしゃいます。そういう人は、尊敬に値します。一方で、自分からは、絶対に話題にしない人もいます。そうやって気にしている人がいたら、周りは〝ハゲのハの字〟も言えません。私自身、コンプレックスのかたまりだったから、はっきりとそう思っています。
そういう〝ネタにできないハゲ〟は、本人にしたら、「できたら生やしたい」と思っているに違いないのです。
そもそもハゲる人は、基本デリケートです。「最近薄くなってきたから、剃っちゃったよ」と豪快に笑っていた人でも、その直後に目が合ったら、「今、俺の頭見た?」と、悲しそうな目をしていることはよくあります。「ハゲたらスキンヘッドにするよ」と宣言するような人も、毛はないよりあったほうがいいと考えていることは間違いないでしょう。
ありていに言って、前向きで明るいハゲの人は、ほうっておいても大丈夫です。でも、明るく前向きで、しかも素敵なハゲ男になるには、やっぱり素質がいるのではないでしょうか。
多少野球の素質があっても、プロ野球のスター選手にはなれません。それと同じで、か
なりポジティブな性格の人でも、毛が抜けたら内心ガックリです。凡人は、生えるものなら生やし、増えるものなら増やしたほうが絶対にいい。私は、そういうふうに思っています。
私自身もそうだったように、薄毛やハゲを気にしていると、たいていの人は卑屈になります。そして、どんどん消極的になってしまいます。一方、髪が生えてくれば、それだけで自信が回復してきます。仕事も恋愛も、うまくいくような気になってくるものです。そして、実際にうまく回るようになる。それはもう、「男ゴコロ」とも言うべきものです。
その後、私には、なんとしてでも自分の髪を取り戻さねば〝気がすまない〟理由が生ま
れました。
恋愛をめぐる屈辱です。
20代後半から抜け毛に苛まれ、いろいろ育毛活動にいそしんでいた私ですが、だからといって、女性に縁がなかったわけではありません。一定期間お付き合いした方もいましたし、その後も恋愛をすることはありました。ところが、30代のあるとき、意中の人にフラれてしまいました。
しかも、その人の彼氏になった男は、私も知っている相手。最悪です! その男ときたら、ちょっとした小金持ちのようではありましたが、私より背も低いし、スタイルだって大したことなかったはずです。私もややメタボ化しつつありましたが、まだ「俺のほうがましじゃん!」と思える相手でした。そんな男が選ばれて、なぜ私が捨てられるのか? 髪の薄さが理由でフラれたとは思いたくありません。
相手もそうは言いませんでした。それでも、どうしても自分のハゲ頭を意識せざるをえませんでした。誰がどう見ても、その男よりもかっこよくなりたい―。今思えば青くさい考えかもしれませんが、私は本気でそう思いました。そして、育毛活動をさらに強化する一方で、気になり始めていたメタボ体形の克服にも乗りだしました。そのために、当時始めたのがボクシングでした。鏡に向かってシャドーボクシングを繰り返しながら、毎日のようにつぶやきました。
(見返してやるんだ、あいつらを……)
映画『ロッキー』でシルベスター・スタローン演じるロッキー・バルボアがトレーニングを重ね、不屈の闘志でリングに上がろうとする姿を、自分に重ねたりしました。しかし、失恋した私には、髪以外に決定的に欠けているものがありました。女々しいことを言うようですが、映画のロッキーには、勝利を収めたときに名前を呼ぶパートナーがいます。そう、ヒロインの「エイドリアン」です。
そのとき、私は愛しのエイドリアンを失っていたのです。接戦を制したロッキーが「やったぞ、エイドリアン!」と叫ぶ場面がありますが、私は、こうグチりたい心境でした。
「なんで俺じゃダメなんだよ~、エイドリアンのバカやろう!」
次回に続く