「1カ月休みがなかった」課長時代の壮絶体験
これまで自分に与えられた仕事はノルマをひたすらこなすことだけでしたが、マネージャー職に就くと課全体の数字と戦わなければなりません。課長なのでそもそもの割り当てノルマが大きいのはもちろんですが、課全体のノルマが達成できなければ、その分をなんとしてでも穴埋めする必要があります。
本来なら課員にノルマを課して管理していくのが課長の役目。しかし私はどうしても「周りにばかりノルマを詰めるのは嫌だなあ」という抵抗感が拭えませんでした。自分自身でもちゃんと成果を出しながら、課員にも仕事を与えたかったのです。
ノルマの穴埋めを部下ばかりに押し付けるのではなく、自分で抱え込むことが多々ありました。今思えば、課長としては間違った仕事のスタイルだったかもしれません。自分のことはさておき、部下に命じ適切なノルマを課す采配スキルが、課長に必要な能力だったのでしょう。
1990年代の経営危機の影響で新人社員をあまり採っていなかったこともあり、ノルマをこなしながらクレームの処理に対応したり、さまざまな業務を自分でやったりしなければならず、心身ともに困憊していくばかりの日々でした。
おまけに土日は課長新人研修やその他の研修に明け暮れ、丸1カ月休みがないこともありました。会社にどっぷり浸かって息を抜く暇がいっさいなかったのです。
課長になって2カ月くらいから、仕事中気分が急にふさぎ込み、何も手につかなくなりました。就寝中何回も目が覚め、慢性的な睡眠不足にも悩まされるようになり、いよいよ仕事がまともにできない状態に。
心療内科クリニックへ足を運ぶと、うつ病と診断されました。この時には「もう無理、絶対無理」という極限状態で、職場へ行くのさえ困難になっていました。もはや選択の余地はありませんでした。
課長に就任して4カ月目に、私は大和証券を退職したのです。
会社を辞めることが決まった瞬間、うつ病はあっという間に治りました。それだけ課長職が私にとって大きな負担となっていたのです。あのまま会社にい続けたら私の病状はさらに悪化していたことでしょう。もっと違った、最悪の形で、会社を離れることになってしまっていたかもしれません。