どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。今回取り上げるのは、JR常磐線「我孫子」駅。

街の運命を変えた!?「手賀沼」の水質汚濁

「我孫子(あびこ)」は、千葉県我孫子市にあるJR常磐線(快速線、緩行線)と成田線の駅です。一日の乗車数は、3万人強。「我孫子」を出た常磐線はお隣「天王台」を過ぎると、利根川を渡り、茨城県に入ります。

 

「我孫子」という地名を、初見でスラリといえる人はあまりいないでしょう。この辺りを「あびこ」として最初に確認できるのは、鎌倉時代のこと。土地の相続をめぐる遺言書である『尼しんねん譲(ゆずり)状』に「しもつさのくにあひこのむら」との記述が見られます。

 

そもそも我孫子は、「阿毘古」「我孫公」など表記はさまざまですが、由来は氏や姓にあるとされています。古墳時代の大王や大和地方の有力豪族は豊かな土地を直轄地とし、貢納物を納めさせました。その際、土地やそこに住む人々に「我孫子」という名が付けられました。全国各地に「我孫子」「安孫子」「吾孫子」など、地名や人名が見られるのは、そのためだと考えられています。

 

また発掘調査の成果からみると、我孫子にある水神山古墳は4世紀後半に作られており、古墳時代から大和政権につながる有力者がいたと考えられます。そのことから、この一帯に「我孫子」という地名が付けられたといわれているのです。

 

「我孫子」駅を出て南に1kmほどのところにある「手賀沼」は、かつて、志賀直哉や武者小路実篤らが別荘を設けるなど、風光明媚な場所として愛されていました。そんな手賀沼に、1960年代、ディズニーランドの誘致計画があったことは知られた話。なんと起工式まで行われていましたが、その後、計画は頓挫。順調にいっていれば、世界的に名の知れた一大リゾート地になっていたかもしれません。

 

頓挫した理由のひとつが、手賀沼の水質汚濁です。高度成長期、周囲の急速な都市化により、水質は悪化。1974年には「日本で最も水質汚染された湖沼」といわれ、不名誉な形で全国に名を馳せました。その汚さたるや、30〜40代の人は社会科の教科書で写真を見たことがあるかもしれません。現在は、水質もだいぶ改善され、一度は消えた生物も戻りつつあります。とはいえ、まだ国の基準値をクリアできておらず、さらなる改善が望まれています。

 

 

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「我孫子」駅周辺を見ていきましょう。東京のベッドタウンとして急発展した我孫子は、駅周辺に多少の商店の集積は見られるものの、基本的に住宅街。駅南口は、町の中心として発展してきたエリアで、徒歩1分の「アビイクオーレ」はイトーヨーカドーを核テナントとしたショッピングセンター。その先の国道356号までは低層のビルが並び、金融機関などが点在しています。

 

一方、北口は、駅前広場を囲むように雑居ビルが並ぶものの、すぐに住宅街が広がります。北口から徒歩5分ほど、国道6号線沿いの「あびこショッピングプラザ」は、「イトーヨーカドー我孫子店」のほか60の専門店が並ぶショッピングセンター。地域の生活を支える人気スポットです。

 

 

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