母代わりを卒業した矢先にさらなる不幸が……
都内に住むA子さんは、三人姉妹の長女です。A子さんは高校生のころ、母を病気で亡くしました。次女は小学生、三女はまだ幼稚園生だったため、仕事で不在であることが多い父に代わり、A子さんが家事のすべてをこなしました。次女、三女が高校生のとき、毎朝、お弁当をつくって持たせていたのもA子さんでした。
A子さん自身も仕事で忙しくしながら、母の代わりとしても奮闘していた日々。次女や三女が社会人になり、実家を離れるまで、自分自身のプライベートなことは、まったく考える暇もなかったそうです。
「まわりの友人が次々と結婚していたのに、私は自分のことを考える余裕などなくて……。すっかり婚期を逃しちゃいましたね」と笑いながら話すA子さん。そのころ次女や三女は、職場で出会った男性と結婚。それぞれ夫の都合で次女は関西へ、三女は海外で暮らすようになっていました。
「私も良い人、見つけないと!」と、A子さん自身も将来のことを考え始めていた矢先、還暦を前にした父が交通事故にあうという悲劇に見舞われます。幸いにも命に別状はありませんでしたが、事故の後遺症で杖なしでは歩行は困難に。杖があっても、ゆっくりでないと移動もできなくなってしまいました。
「いまの家の状態だと、暮らしにくいよね……」
そこでA子さんは思い切って実家をリフォームします。父が移動するのに便利なように、バリアフリーな造りにしました。献身的な娘に感謝の言葉をどんなに尽くしても足りないと恐縮する父に、「大丈夫よ。これで私がおばあちゃんになっても安心ね」とA子さん。自身のことは二の次に、体が不自由な父を支え続けました。
「結婚!? ちょっと考えられないですね。妹たちの手が離れたと思ったら、今度は父ですから。でも苦ではないんですよ、父と二人きりの暮らしも、良いものですよ」
歩行がスムーズでなくなったからでしょうか。父は体が弱くなり、体調を崩すことも徐々に増えていったといいます。そして大病を患い、70歳を前にして亡くなりました。
10年以上も、父を介護しながらの仕事を両立させる生活は、はた目から見ても大変なものでした。しかしA子さんは「母の分まで、父に親孝行できたので幸せでしたよ」というのでした。
実家の価値が1億円超と聞いた次女は……
当時、次女は関西、三女は海外で暮らしていたので、実家を訪れるのも1年に1回あるか、ないかという状況。父の葬儀がきっかけで、三姉妹が久々に揃ったのです。
長女「こんな機会、いつになるか分からないから、今のうちにお父さんの遺産についてお話しておきたいの」
次女「そうよね。今のうちに決めておきたいよね」
三女「で、お父さんの遺産っていうのは?」
父が遺したのは、実家と1,000万円ほどの貯金でした。
三女「家は、お姉ちゃん(長女)よね。このまま住むでしょ、ここに?」
長女「そうね、できることなら、そうしたいわね」
三女は次女に対して「そういうことでいいわね」と同意を促し、次女は「そ、そうね。この家はお姉ちゃん(長女)に、でいいと思うわ」と答えました。
長女「ありがとう、ふたりとも。じゃあ、貯金はふたりで半々に分けるというのはどう?」
三女「お姉ちゃん(長女)は?」
長女「いいのよ。私はお父さんとお母さんの、この家に住めたら、それでいい」
三女「それじゃ、貯金は2人で半々ね」
こうして、自宅はA子さん、貯金は500万円ずつ次女と三女で分けることになり、遺産分割は終了……となるはずでした。しかし関西の自宅に戻った次女は、モヤモヤした気持ちが収まらずにいました。
「お姉ちゃん、遺産もらいすぎじゃないかしら……」
実家のあるのは、都内でも人気のエリア。最近、東京では地価があがっていると聞くから、実家だって結構な額になるはず……。
次女の家では教育費がかさんでいたため、遺産は、もらえるものなら多くもらいたい、というのが本音でした。ためしに実家がどれくらいの価値があるのか調べたところ、なんと1億2,000万円ほどになることが判明しました。
それから1週間後、A子さんのもとに、次女から頼まれたという弁護士から連絡が入りました。遺産分割をやり直し、次女は父の遺産として3,000万円を要求するという内容でした。突然のことに驚いたA子さん。
「まさか、うちで遺産争いなんて……」
その後、次女のもとに連絡をよこしたのは、三女です。
三女「ちょっと、遺産分割のやり直しのために弁護士を依頼したって、どういうこと?」
次女「旦那からいわれたのよ。身内とはいえ、こういうことは弁護士にお願いしたほうがいいって」
三女「だからって、弁護士にお願いすることないじゃない」
次女「だって、実家の値段、知っている? 1億円超えるのよ。それに対して、私たちがもらえる遺産は500万円。どう考えても不公平じゃない」
三女「でも、あの家にどれくらいお金かかっているか知ってるの?」
次女「えっ?」
三女「お父さんのためにリフォームしたでしょ。あのお金、全部お姉ちゃんが出しているのよ」
次女「えっ、お父さんが出したんじゃないの?」
三女「違うわよ! それに毎日の生活費とかも、お姉ちゃんが払っているはずよ。実家をもらっても足りないくらいよ」
次女「そんな……」
事情をまったく知らなかった次女。弁護士への依頼は取り下げ、すぐにA子さんに謝りに行ったといいます。
大きく2種ある遺言書…作成するなら「公正証書遺言」
相続トラブルが起こりやすいパターンはいくつかありますが、そのうちのひとつが、介護をした相続人と介護をしなかった相続人との間で生じるトラブルです。「介護をしたのだから、遺産は多くもらいたい」「介護をしていないのだから、そんなに遺産をもらうのはおかしい」……そのようなトラブルです。
今回の事例では、途中まではスムーズに進みましたが、実家の価値を知った次女が、遺産分割に不公平感を持ったのが始まりでした。このようなことが起きないよう、遺言書を作成しておきたいものです。
遺言書には、大きく分けると2種類あります。作るのに手間とお金がかかりますが、法的な効力が強い、公正証書遺言と、誰でも簡単に無料で作れますが、法的な効力が弱い、自筆証書遺言です。
公正証書遺言の最大のメリットは2つあります!
1つは、偽造変造のリスクが一切ないこと。公証人が遺言を作るので、悪意のある相続人に書き換えられたり、勝手に破棄されたりするリスクは一切ありません。もう1つは公証役場で預かってもらえること。自筆証書遺言の場合には、遺言書を紛失してしまうケースが非常によく起こりますが、公正証書遺言であれば、そのようなリスクはありません。
また紛失以外にも、自筆証書遺言はトラブルが絶えないので、手間とお金が掛かっても、遺言書は公正証書で作成することをおすすめします。
※ちなみに、今年7月から法務局による自筆証書遺言の保管サービスが始まる予定です。
平成28年度に作成された公正証書遺言の件数は、約10万5件です。一方で、簡単に作れる自筆証書遺言は、相続が発生した後に、家庭裁判所で検認という手続きをしなければいけません。平成28年に行われた検認手続きは約1万7千件です。
現在、日本では毎年約130万人の方がなくなっています。つまり公正証書遺言作成者10万5千人+自筆証書検認1万7千件=遺言書を作った人は約12万人となり、約10人に1人は遺言書を残しているという計算になります。
遺言書は必ず作成しなければいけないものではありません。なくてもなんとかなりますが、「遺言書があって本当によかった」とか、「遺言書さえ残しておいてくれれば……」というシチュエーションはたくさんあるのも事実です。一度、残される大切な家族のためにも、一度遺言書について考えてみてはいかがでしょうか。
【動画/筆者が「遺言書の保管サービス」について分かりやすく解説】
橘慶太
円満相続税理士法人