※本連載では、公認会計士・米国公認会計士の資格を持ち、数々の企業でコーポレートファイナンスを通じて新たなスキームを構築してきた株式会社H2オーケストレーターCEO、一般社団法人M&Aテック協会代表理事および公認会計士久禮義継事務所代表である久禮義継氏が、新時代に中小企業が生き残るための経営戦略を提案していきます。

IT分野に強みを持つ企業の「リスク」とは?

前回はM&Aを実施する目的を整理しました。大企業、中小企業それぞれの思惑は交錯しているものの、大企業とスタートアップとの相思相愛感は、老舗のそれと比較して強いというのが正直なところです(関連記事『収益シナジーの期待…M&Aで「中小企業を買う」メリットとは』参照)。

 

M&Aの実行の背後にさまざまな目的があるわけですが、中小企業は大企業とM&Aを実際に行う際、どのような点に留意しなければならないでしょうか。今回は、個別M&Aプロセス毎(スタートアップと老舗)に、ひとつひとつ解説していきます。ただ、全体的なイメージが掴めるよう、まず最初に結論だけ以下に示しておきます。

 

[図表1]
[図表1]

 

デューディリジェンス(DD)

 

• スタートアップ

スタートアップはITテクノロジー分野に強みを持った企業が多いですが、その場合、特に特許トロール※1からの訴訟リスクに焦点を当てて調査してきます。特許訴訟リスクは大きな事業リスク要因となりかねず、意思決定に重要な影響をおよぼしかねません。

 

実際、立派な法務部門が存在する大企業よりも、法務上の対応能力が脆弱なスタートアップに訴訟を仕掛けた方が効果的であるため、大企業よりもむしろスタートアップの方が特許訴訟のターゲットになりやすいようです。

※1 特許トロールとは、明確な定義はないものの、テクノロジーに強みを有する企業などに対し、自らが保有する特許権を侵害していると主張して巨額の賠償金やライセンス料を得ようとする者を指します(ちなみに、自らその特許に基づく製品やサービスを提供していない場合が多い)。

 

●老舗

DD自体は比較的シンプルですが、創業者やその一族との取引条件、脆弱な内部管理体制(故意・過失の発生リスク)といった老舗特有のリスクが特に調査されます。

 

バリュエーション

 

●スタートアップ

AI化の進展といった破壊的イノベーションに対し、事業シナジーが大きいと判断した場合は、十分に収益が計上できていない段階であっても、高値で条件提示されるケースが増えています※2。しかしながら、一般的なバリュエーションによると説明が困難な水準では、投資回収に疑義が持たれ減損リスクを抱える可能性があるため、尻込みする場合もあります。その場合、こちらから積極的に定性面でのアピールを明確かつ丁寧に伝えることが望ましいでしょう(例えば、将来の事業計画にかける意気込み・実現の蓋然性)。

※2 海外の事例ですが、マスメディアに大きく取り上げられた案件として、FacebookによるインスタグラムM&Aが挙げられます(「「社員13人、売上高ゼロ」でもM&A額810億円、フェイスブックM&Aの真相」(2012年4月12日日本経済新聞))

 

●老舗

そもそも決算書がシンプルなため、評価自体も簡素な形である場合も多い。ただし、創業者やその親族との取引や、簿外債務が価値評価に大幅な影響を与えるケースがある点は、十分注意が必要です。

 

スキーム

 

●スタートアップ

スタートアップを対象としたM&Aでは、バイアウトといわれる支配権を伴う株式の譲渡が幅広く行われています。また、大企業が第三者割当増資を引き受け、かつ事業上の提携関係を築くものの、経営の独立性はスタートアップ側が引き続き維持したまま事業の成長スピードを加速させるようなM&A(資本業務提携)を実施することも多いです。ただ、資本業務提携では創業者利益を確定することはできません。あと補足ですが、バイアウトにより子会社化された後であっても、一定期間経過後に上場することを前提に事業運営を進めるケースも散見されます。

 

●老舗

創業者による属人的経営から組織的経営に移行するため、クロージング後、創業者が一定の持分を維持しながら経営に引き続き関与するケースは少ないといえるでしょう。また、著者が調査した限りでは、資本業務提携が採用されているスキームも散見されました(この場合、VCなどの金融投資家が関与する場合も多い)。

中小企業が「下手に出る」必要がない理由

契約交渉

 

●スタートアップ

スタートアップは上から目線で交渉するのもあり(?)かもしれません。スタートアップは大企業にはない特長が数多く存在します。スタートアップを対象としたM&Aは頻繁に実施されており、その勢いは増す一方です。場合によっては、スタートアップを他社に囲いこまれることを恐れて、防衛的にM&Aを実施するケースもあります。

 

だから、大企業と中小企業では規模がまったく異なるからといった理由で、下手に出る必要はありません。たとえ、資本業務提携といったような穏やかなスキームではなくバイアウトであったとしても、大企業から支配的なスタンスを取られる必要はなく、しっかりと自社のよさをしっかりと認めてもらい、イコールパートナーの関係性を主張すべきです。

 

自社の経営陣や従業員に大きな価値を見出してくれているケースも多いので、キーマン条項を前提に交渉してくるケースが多いですが、報酬、期間といった条件について気をつける必要があります(例・M&A実行後の将来設計を踏まえて整合しているか 等)。スタートアップの経営陣や従業員のインセンティブ設計(典型的には自社のストックオプション)をどのように引き継いでくれるのかという点も焦点になりがちです。

 

●老舗

老舗においては、大企業のように決してロジカル一本槍で事業運営しているとは限らないと思います。したがって、協議を進めるには、従業員の立場や創業者の意向などを慮ってある程度ウェットに協議してもらえる方向に誘導する方が望ましいでしょう。

 

例えば、従業員については一定期間雇用の維持継続を保証するなどの配慮してもらったり、創業者やその一族について会社と取引関係がある場合はその関係性についてどのように配慮してくれるのかというような点です。老舗は、前述のスタートアップで述べた内容と異なり、大企業から強いインセンティブを持たれにくいのが率直なところです。

 

少し話は横道に逸れますが、老舗は膨大な数で、かつ全国に分散していることから、実は独自の強みを持っていたりするケースもあります。しかし、それが大変魅力的であったとしてもなかなか認識されない可能性もあります。したがって老舗については、もし大企業の傘下に入りたいという意向があるならば自ら積極的にアプローチすることが望ましいのではないでしょうか。

 

PMI(M&A後の統合効果を最大化するための統合プロセス)

 

ここはスタートアップと老舗とでポイントが変わらないので、両者を分けずに解説します。まず買い手から見たPMIを述べてみましょう。

 

PMIがうまくいかないと、顧客離れ、従業員の離散といった問題が生じてしまい、当初想定した事業シナジーが実現できない可能性が高くなります。だから、買い手にとってPMIは、M&Aの目的を達成するうえで非常に重要なプロセスなのです。

 

逆に中小企業側として特に気をつけるポイントは2点あります。

 

1つ目はPMIの全体像の確認です。PMIは一定期間かけて進めていくものなので、全体像を確認して、中小企業側から見ても安心してプロセスを進めていってどうかという感触をつかむのです。ただ、そうはいっても、中小企業を対象としたM&Aは、大規模なものと比較して、詳細な統合プロセスを必要としないことが一般的なので、さほど心配する必要はありません。何をどのように、どのタイミングで統合していくか、という点を確認するのです。

 

2つ目は中小企業の従業員への配慮です。企業文化、社内規則、仕事の進め方など、大企業とはさまざまな点で異なることが多いです。そのため、M&Aによる変化に従業員は大きく戸惑うことがあります。

 

例えば、スタートアップや老舗は属人的経営の色合いが濃いため、大企業における組織的経営とは本質的に肌が合わず拒否反応を起こす可能性があります(例・大企業の“お作法”に順応できるのか? 等)。

 

また、買い手の経営陣や従業員のカルチャーについては事前になんらかの手段で確認しておいた方がいいでしょう(例・スタートアップから見て大企業の従業員は物足りなくないか、逆に老舗から見て大企業の従業員はお高く止まって見えないかどうか 等)。大企業だから立場が上というような見下した態度をとるような会社であると、両社の従業員の間で格差意識や隔たりが出てきて双方が不幸になる結果となりかねません。

 

いかがでしたでしょうか?

 

ここでいえることは、大企業同士と異なり、中小企業とのM&Aにおいては留意すべき点がいろいろと存在するということ。そして、M&Aのプロセスも、スタートアップと老舗との間でかなり違った面が浮き彫りになっているということです。

 

さて、中小企業のM&Aに関する話はここで留めたいと思いますが、スタートアップという“生き物”は中小企業全体においてお手本になる部分は多くあるので、もう少し研究するに値するものと思います。そこで次回はスタートアップの生きる術として「スタートアップ思考」というものがありますので、中小企業全般に適用できそうな部分をご紹介したいと思います。

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