グローバル化が急速に進むなか、子どもに英語のみならず、国際感覚を直接現地で身につけさせたいと考える富裕層が増えている。本記事では、数多くの留学サポートを手がける株式会社アエルワールドで海外生活カウンセラーとして親子留学を担当する北原万紀氏が、「海外留学」、「家族長期留学」等についての最新事情を解説する。今回は、EB-5を活用し、アメリカへ教育移住した日本人家族のケースを取り上げる。

震災をきっかけに、母子だけハワイへ移住することに

高校生・大学生の単身の留学先としては人気なのですが、親子留学となるとあまり行く人が少ないのがアメリカです。その理由は、親子で長期滞在する場合に取れるビザが非常に限られていることにあります。

 

まず、アメリカには、オーストラリアやニュージーランドのような保護者ビザの仕組みがなく、親が子どもの留学についていくことができません。そのため多くの場合、ご両親のどちらかがアメリカで学校に通学し、親が学生ビザを取得する必要があります。ただしこの場合も、両親のどちらか1名しか渡航できません。そのため両親揃って家族でアメリカに長期滞在となると、留学としてのビザではなく別のビザを検討する方が多くなるのです。

 

起業ビザなどを使用する方もいますが、弊社で人気なのは、アメリカの永住権申請ができる投資ビザEB-5です。失業率の高い地域のプロジェクトに一定額を投資して、間接的に雇用を生むことを条件に永住権申請ができます。昨年まで中国人が教育目的に殺到していたことでも有名です。この2019年から最低の投資額が50万ドルから90万ドルに引き上げが決定しました(こちらはその前の情報です:関連記事『約5,400万円→約1億円にアップ目前!米国「EB-5」の魅力』参照)。

 

今回、そのEB-5を使いアメリカ移住されたAさん家族にお話しを伺うことが出来ました。Aさん、奥さま、お子さまの3人家族で、アメリカへの親子留学を経て、EB-5で永住権申請をされています。現在、Aさんはサンフランシスコ在住で東京と2拠点をメインに、出版プロデュースやコンテンツマーケティング事業を行なっています。

 

――そもそもの移住のきっかけとは何だったのでしょうか?

 

2011年3月の東日本大震災の時です。家族は誰も英語ができなかったので、それまでまったく移住なんて考えていませんでした。ただ、震災直後、当時はとにかく日本を出なきゃと思っていて、東日本大震災の次の日に一時的に避難場所として大阪の大手外資系ホテルに避難しました。ただ、大手の企業がホテルの部屋を押さえだし、長くはそこにもいれなくなりました。

 

すぐに母子だけハワイに移すことにしました。妻がF1(学生ビザ)を取って、現地で学校に通い、娘(当時6歳)は現地の私立校に入学しました。私は当時大手出版社の編集長でサラリーマンだったので仕事で動けず、日本に残りました。その間にEB-5(投資による米国永住権)の申請を行い、ビザの承認を待ちました。ビザの承認後、ハワイにいる家族を連れて、現在居住しているサンフランシスコに移住しました。

 

――急に日本から海外へと環境が変わって、ご家族にストレスなどはなかったのですか?

 

妻は結構苦労していたと思います。最初はハワイとはいえ、とにかく英語が話せないし、日本では車も乗っていなかったので。娘はどうでしょう。そんなにストレスはなかったかもしれません。逆に日本の幼稚園では早生まれで「遅れている」ような位置でしたが、ハワイではそういうストレスがなくなったかもしれません。

 

うちは子どもに「何をやれ」とはいいません。いろいろと選択肢は与えてみるけれど、本人がやりたいことを勝手に選びます。ただ、結果的にアメリカの優秀な学校に入ろうとすれば英語力はかなりのレベルが求められます。英語ができないと進学しようにも話にならないので、娘にはハワイで小学校に通う間、アメリカ本土から来ていたチューター(家庭教師)をつけていました。幸いにも娘は英語の習得は早かったです。

 

海外志向の人が日本では少なくなっている⁉

――お子さんの現在通われているサンフランシスコの学校は、どのように決められたのでしょうか。もともとサンフランシスコが移住希望だったのですか?

 

志望というわけではなかったのですが、中学進学のタイミングで娘がサンフランシスコの学校を希望したので移住しました。その学校を知ることになったのは、アメリカの試験です。アメリカには小学校の時から全米の生徒が受ける試験があります。その中で成績がいいと、CTYのテストを受けませんかというオファーが来ます。

 

CTYは、「Centerfor Talented Youth」の略で、1979年にジョンズ・ホプキンス大学内に開設され、同一年齢層トップ5%までを対象とした才能児のための米国屈指の教育研究機関です。CTYの次にはSET(Study of Exceptional Talent)があって、CTYの中でもトップ中のトップといわれる生徒のためのプログラムです。全国学年別集団のトップ0.01%弱に相当するようで、こうした生徒はいわゆる天才です。

 

普通の教育だとうまくいかないようで、個別のプログラムが組まれます。アメリカの天才教育の仕組みを知った初めての機会でした。アメリカは、優秀な人材をスクリーニングにて、コミュニティとして築き上げるんですよね。娘はCTYのオファーをもらうことができて、テストに合格しました。

 

CTYのテストに合格すると、提携大学を会場にしたサマープログラムや世界50か国以上をネットワークにしたオンラインプログラムを受けることができます。10歳で初めて参加したCTYのサマーキャンプはニューヨークでした。今住んでいるサンフランシスコは、実はそのサマーキャンプに通っている最中に訪ねた地です。その中で見ていた学校に受験の申し込みをしました。

 

――その学校はどのような特徴があるのですか?

 

数学に特化した学校です。娘は数学が得意だったので、こちらに決めました。実は娘の入学は2期目だという新設校。Year6-12までで、全校合わせて50名程度。留学生枠なんてもちろんなくて、卒業生は9名中5名がMIT、他はハーバード大学なんかに行っているようです。先生は全員PHD(博士号)以上で、校長は数学オリンピックのチャンピオンという特殊な学校です。

 

学費は400万円くらいで、寮やホームステイはありません。娘はとにかく得意な数学が探求できるので気に入っています。同時にこの学校に出会って、「教育の戦略」といういうようなものを考えさせられました。

 

アメリカの大学受験で問われるのは、3割〜4割は学業です。それ以外でどんな活動をしているかが結構重要です。以前はボランティア活動とかでよかったんでしょうが、今はそんなのは普通なったようで、「起業しました」みたいな学生も多いみたいです。そうなると、最低3年〜4年先のことを考えないと追いつかないですね。

 

――移住のきっかけは外的な要因ですが、Aさんご自身として、何か変化がありましたか?

 

サラリーマンをやめて独立したことは移住に伴って大きなイベントです。ただ、娘を通じて得た経験も今のビジネスに影響しています。私は出版プロデューサーとして活動していますが、アメリカの教育業界の著者の出版およびプロデュースを行なっていますし、出版以外にも自社で教育関係の事業を始めました。

 

アメリカに移住してから得た発想と人脈です。私も移住してから考え方が変わったのですが、一緒に仕事をする若い人たちには、私の体験から「一度海外に行って外から日本を見たほうがいい」といっています。

 

近年は英語を学ぼうとか、海外志向の人が日本では少なくなっているような気がします。私の体験からですが、親の思考の限界が子どもの限界です。幼少期の教育は特にそう思います。そういう意味で、環境を大きく変える海外留学とか移住はその限界を突破させていい刺激になります。実際に移住まで行かなくても、小さい時から短期でも渡航して現地の大学や日本で得られない機会に触れさせておくのはいいと思います。

 

このお話の中で、今後の家族のご予定などを伺いました。アメリカにこだわっているわけではなく、いろいろな機会をご自身にもお嬢さまにも与えたいとのこと。これから先、もしかしたらアメリカを出るかもしれないし、残るかもしれない。とにかく場所を変えると、面白い人たちと繋がれるのが楽しいとのこと。きっかけは何であれ、思わぬ形で実現した家族留学と移住は、家族の教育観と人生観に大きく影響を与えていらっしゃるようでした。

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