2018年10月7日、東京大学医学部付属病院循環器内科で41歳の男性が亡くなった。治療のために施行された僧帽弁のカテーテル治療(マイトラクリップ)手術の直後であったことから、東大病院の対応に疑惑の声があがっている。そこで本記事では、坂根Mクリニックの院長であり、「現場からの医療事故調ガイドライン検討委員会」委員長を務めた坂根みち子医師が、「東大病院マイトラクリップ事件」の疑惑について解説する。

東大病院でマイトラクリップ手術後に男性が死亡

【本稿の要点】

●東京大学医学部付属病院でマイトラクリップ手術後に亡くなった人がいる

●東大は原病(拡張型心筋症)による死亡としたが、事実はカテーテル操作の合併症(血気胸)による死亡と思われる

●遺族への説明が不十分だった

●死亡診断書の記載には問題があった

●院内の検討会での検証が機能していない?

●合併症による死亡は、現在の医療事故調査制度では報告する必要はないが、その際、院内できちんと検証して医療の質と医療安全システムを改善させる必要がある

●東大の対処法に問題があり、医療界全体が「隠蔽体質」だと誤解されうる

 

2018年10月7日、東京大学医学部付属病院循環器内科(小室一成教授)で41歳の男性が亡くなった。死亡診断書には「特発性拡張型心筋症による慢性心不全の急性増悪」と記載されていたが、亡くなったのは、その治療のために施行された僧帽弁のカテーテル治療(マイトラクリップ)手術の直後だった。だが、死亡診断書にそれを読み取れる記載はなかった。

 

この問題は、独自に調査報道するNGO「ワセダクロニクル」が詳細な報道を続けており(http://wasedachronicle.org/articles/university-hospital/h8/)、本年1月以降は、大手各社のメディアも後追い報道をしている。東大の小室一成教授は、3月末に行われた日本循環器学会最大の学術集会である、日本循環器学会総会の今年の会長だったために、薄氷を踏む思いだっただろう。

 

筆者は、循環器専門医であり、一般社団法人日本医療法人協会・医療安全調査部会の委員として医療事故調査制度にも関わっているため、この問題には注視してきた。小室教授の学会長としての仕事も無事成功裏に終わった時期でもあり、世間を騒がしているこの問題をいつまでも放置するわけにはいかない。この件の何が問題なのか述べたい。

 

結論からいうと、この件は、カテーテル合併症による死亡であった可能性が高い。

 

手術を開始したものの、カテーテルでマイトラクリップを留置するところまでいかなかった。その手前、心房中隔に穴を開けてカテーテルを進めるべきところで、ずれた場所を焼灼してしまい、肺を傷つけ血気胸を起こしてしまった可能性が大きいのだ。結局、心房中隔を穿通できず、手術は途中で中止となっている。

 

ここまでは、侵襲的な医療行為を行う以上起こり得ることである。だがそこに重大な問題が隠されている。術直後の胸部レントゲン写真で気胸を見逃し、気づくのが丸1日遅れたのである。

 

もともと重症低心機能だった患者である。循環動態の悪化は、病状をドミノ倒しのように悪化させていった。マイトラクリップ手術が途中で中止となったのが9月21日。翌日には血気胸に気づかぬまま、集中治療室から一般病棟に転出し、その後急変、26日には一度心肺停止となるも、集中治療が功を奏し一旦回復基調。だが、再び状況は悪化し、手技から16日後に敗血症性ショックで亡くなっている。

 

さて、問題はここからである。まず、遺族にカテーテル手術の合併症で血気胸を起こしたことが事態を悪化させた可能性について十分な説明をしていない。死亡診断書にも死因を「慢性心不全急性増悪」とし、その原因として「特発性拡張型心筋症」としか書かれていない。

 

そして、解剖は遺族が希望しなかったということで行われなかった。確かに拡張型心筋症による慢性心不全であったことは間違いない。だが、この時急変したきっかけは、血気胸である。血気胸の診断の遅れが治療の遅れを招いた。診断が早ければドミノ倒しを防げたかもしれない。痛恨の見逃しである。

 

その事実を遺族にきちんと伝えず、死亡診断書にも書かなかった。本来なら、事実を話した上で、遺族には真摯に謝罪し、原因解明のために、解剖をお願いするのが筋であった。

 

10月7日に男性は亡くなり、10月19日には、院内での検討会が開かれている。医療安全の担当者が出席しているところも見ると、M&M(Mortality & Morbidity)カンファランスと思われる。

 

 

M&Mカンファは死亡症例や重大な合併症を来した症例を対象に、悪い転帰に至った原因を医療システムや環境・組織レベルであぶり出し、次の失敗を回避することで医療の質向上をめざすカンファランスである。個人の責任を追求するのではなく、何が起こったのか、なぜ起きたのか、どうすればよかったのかを検証していく。

 

東大で比較的すぐにこのカンファランスが行われたところは、一見システムが機能しているように見られる。このような検討会は院内調査が主体であり、そこでの討論・再発防止策を現場へフィードバックし、医療の質と安全を自律して高めていくことが極めて重要な点である。だが、その後の東大の対応を見ていると、東大のM&Mカンファは形骸化しているのではないかという疑いが残る。

 

東大病院
東大病院

東大はマイトラクリップが「唯一の手段だった」と強調

今回の件について、東大は、A4の紙8枚にも及ぶ回答書を各メディアに配布した。そこには、亡くなったのは残念だったが、患者を救う手段として、マイトラクリップというカテーテル治療は「唯一の手段だった」と強調されている。

 

筆者は、ワセダクロニクルの記事にあるように、心機能が心エコーの「Visual(見た目)で30%」→「計測上は17%」で、そもそも治療の適応外だった、という点は必ずしも賛同しない。心エコーの熟練者による「Visual」は、未熟な者が行う計測値より正確であることはよくある。手術を行いたいがために、関係者が検査して恣意的に数値をよく見せかけたのならまだしも、30%という数値は前医でのデータのようである。適応ギリギリの人が対象になることは、実臨床では十分あり得ることである。転院後のエコー所見のさらなる検討は必要だったと思われるが、これをもって適応外といえるかどうか難しい。

 

またカテコラミン依存性だったと思われるため適応外であるというのも、必ずしも正しいとはいえない。手術の適応に関しては微妙なのである。確かに術者は症例数を増やそうと、あちこちに声をかけていたかもしれないが、こうやって救われる命もあるので一概に否定しない。

 

やはり問題点は、悪い結果となった時の対処の仕方である。カテーテル操作で起きたと思われる血気胸については、患者・家族に遠回しに伝えていたものの、レントゲン写真で術直後に見逃していたことや、その後の病態の悪化に影響を与えた可能性について、どの程度伝えていたのであろうか。

 

いわなくて済むなら触れないでおこうという意識が、解剖による死因究明を積極的に働きかけなかったことにつながっていないだろうか。「血気胸の原因は現時点では特定されていない」という遺族への説明は、医学に素人の遺族に対して誠実な説明だったとはいえない。いずれにせよ、解剖を行わなかったことで、血気胸の原因を究明する唯一無二のチャンスは永遠に失われてしまった。

 

そして、死亡診断書の記載どおりに遺族に説明していたとしたら、不誠実の誹りを免れない。死亡診断書からは、マイトラクリップを施行しかけて血気胸となり、状態が悪化していった経過をまったく推測することができない。この点は明らかに問題である。遺族への説明責任は果たされず、それについて、院内のどこからも指摘があった形跡がない。M&Mカンファで、何が起きたか、なぜ起きたか、循環器内科グループがどうすればよかったのかの検証が極めて不十分であったといわざるを得ない。東大は組織としてもチェック機能を欠いているのである。

 

天下の東大がこれでは困る。世界医師会の理念は「Patient first(患者第一)」であり、患者を守るために医療者は自律しなければいけない。東大の感覚はひと昔前のものである。トップがこのように医療安全に無知なままでいることは、もはや許されない。現場にもそう感じる人たちがいたから情報が流れ出たのだろう。

 

筆者は、日本医療法人協会で「現場からの医療事故調ガイドライン検討委員会」の委員長として医療事故調査制度に関わり、医療事故調査制度についてなんども発信してきた。

 

現在の医療事故調査制度は、行った医療に起因する死亡かつ予期しなかった死亡と管理者が認めたものを報告する制度であるが、制度の本質は報告することにあるのではなく、各医療機関が自律的に院内で調査・検証し、現場を改善させていくことそのものにある。だからこそ、報告対象は限定的なのである。

 

 

今回の件は、遅ればせながら医療事故調査・支援センターに報告されたようだが、カテーテル操作で通常起こりうる合併症なので、医療事故調査制度の報告対象だとは、筆者は考えていない。その代わり、院内での検証は徹底的にしなければいけなかったのだ。個人の責任を追求しない代わりに、起こったことをすべて話し、ありとあらゆる角度から検討し、現場にフィードバックして医療安全を高めるというスキームが必須なのである。

 

また、制度とは別に患者・家族への説明責任はしっかり果たさなければならなかった。世間的にもそこが不十分だと「やはり医療界には隠蔽体質があり、任せられない」と捉えられ個人の責任追求が始まる。責任追求型では訴訟が増える一方、現場の改善は放置され、結果として患者は守られない。

 

今まで、そして今でも医療現場は、こんなことが繰り返されている。医療での悪い転帰は、故意の犯罪によるものではないが、期待する結果が得られなかったからといって医療者個人が責任をとらされれば、医療者が1人また1人と現場から立ち去ってしまう。医療で処罰感情を優先させてしまったら医療は成り立たない。責任追求型から再発防止型へ、世界標準の制度にパラダイムシフトさせるために、この数年、関係者がどれだけのエネルギーを注いできたことだろうか。今回の問題に対する東大の対応は、これらの努力を無にするものである。

 

東大の小室教授は、千葉大学教授時代、降圧剤「ディオバン」の研究不正問題に関係するVART Studyで主任研究員を務めていたが、その後東大の教授となり、日本循環器学会の代表理事にも選出されている。ご本人はリーダーとしての責任の取り方に問題を感じておられないのだろうか。さらに、日本の医療界に健全な批判精神があるのか、大いに疑問である。日本循環器学会の一学会員としても今後の動きに注目している。

 

坂根 みち子

坂根Mクリニック 院長

 

本連載は、医療ガバナンス学会のメールマガジンを転載したものです。記載されているデータおよび各種制度の情報はいずれも執筆時点のものであり、今後変更される可能性があります。あらかじめご了承ください。

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