本質を追求し、ビジネスの「そもそもの前提」から疑う
企業活動の目的を「利潤の追求」としているビジネスの古典もあります。しかし、そうした言葉の奥にある本質を見通すことなく、額面だけで受け取ってしまうと「本物」から遠ざかってしまう場合もあるような気がします。
利潤の追求や同業他社との競争は、企業が社会に貢献するために必要なことです。しかし、既存の価値観が通用しなくなってきた今こそ、私も含むビジネスパーソンには、利潤の追求や競争の前提として「そもそも」の仕事の意味や商品を世に出す意味を考えることが求められているように思います。
商品・サービス、そして仕事の本質を考えていると、「こういうモノがあったら、お客様は助かるはずだ」「これがあったならみんなが幸せになるはずだ」という思いに至ることがあるものです。そのとき、目の前の現実が、その「素晴らしいモノ」や「本物」とずれているように感じたら、いったんは現実を疑ってみてもよいのではないかと思います。
そして、現実がそうなっている理由が、「〇〇とはこういうものだから」といった常識にあるのなら、一度その常識を疑ってみるのです。
「〇〇とは、……そもそも…だ。本当に? なぜ?……本当に? なぜ?」と。
誰もが、そうするべきだ、そう考えるべきだと言うつもりはありませんが、私は常にそういう思考方法を取ってきました。そうやって本質をどんどん深く追求していくと、私たちのハミガキ粉が従来のハミガキ粉と一線を画するものになったように、今世の中にあるものから見て「規格外」「常識はずれ」になることも多いように思われます。
常識が「本質」から離れていないかチェックせよ
私たちは、生きていくうえでさまざまな「常識」に従っています。常識とされることの中には、ルールやマナーなども含まれます。
例えば、「社会人になったら、このぐらいの常識は身につけておこう」などと言われます。そういう意味での常識は、一般に、「学び、身につけるべきもの」「守るべきもの」と思われている場合が多いと思います。
先人や先輩に学び、真似ることは、物事に上達するために必ず通る道でもあります。それはもちろん、ビジネスにおいても同じ。ですから、「常識イコール悪」と決めつけることはできません。
しかし、常識とされているものが、先ほど述べたように本質を離れてしまった場合や、世の中が変わって時代に合わなくなってしまった場合には、なんらかの不都合を生んでいる場合がないとは言えません。
そのような場合、「常識」という縛りが、お客様の利益に反している可能性があるわけです。
そこで求められるのが、「常識」が「本質」から離れていないか常にチェックすることなのです。
日常の「当たり前」にヒントは隠されている
それぞれ生業を持ち、その道のプロとして働いている私たちは、それぞれの仕事において、ほかの業界の人と異なる「常識」に従って生きているとも言えます。
その世界で常識とされることは、慣れるにつれて、「そういうものだ」という思い込みになりがちです。そういう常識の中には、ほかの業種やお客様の目から見ると、おかしいこともあるのではないかと思います。
例えば、自分も歯科医師として、抜歯やインプラントの手術をしていますが、術中、術後もほとんど腫れや痛みがないように常に心配りや技術の研鑽など勉強や努力をしてきました。歯を削るから、抜くから痛いのは当たり前、外科処置をしたから腫れるのは当たり前、という考えをよしとしてきませんでした。
ですから、多くの方は、手術中や処置後、ほとんど痛みや腫れがでないことに驚かれ喜ばれます。
普段の生活の中で当たり前で常識とされ、仕方なく受け入れていたところに、重要なヒントがいろいろ隠されているのではないでしょうか。
齊藤 欽也
歯科医師/ウィステリア製薬株式会社代表