東大に合格する子が持つ「失敗を成功に変える心」を育てる方法

本記事は、東京大学薬学部卒業で、現在は作家、心理カウンセラー、イラストレーターとして活躍する杉山奈津子氏の著書、『偏差値29からなぜ東大に合格できたのか』の内容の中から一部を抜粋し、子どもの能力を最大限に引き出す親の役割について見ていきます。

赤ちゃんには「失敗への恐怖」がない!?

昨年生まれたばかりの私の息子は、毎日のように挑戦を繰り返し、毎日のように昨日できなかった何かができるようになります。いつの間にかラッパを吹いていたり、つかまり立ちをしていたり、上れなかった椅子の上にいたり、滑り台の階段を上り下りしたり、「ママ」と言ったり…。

 

その凄まじい速さの成長具合を見ていると、変化の少ない自分の日常を反省してしまいます。同じく息子がいる友人も「子どもは、毎日が新しい可能性に満ち溢れていて羨ましい」と言っていました。赤ちゃんだった頃は誰もが同じように成長していたはずなのに、なぜ大人になると、失敗を恐れる「固定タイプ」のメンタルセットをもってしまうのでしょうか。

 

子どもは挑戦も学ぶことも、本当に楽しそうにこなします。そして、いつの間にかマスターしています。完壁なる「変動タイプ」の人聞は、猛スピードで毎日前に進むのです。

 

私の息子は、最近ベッドによじ上るのが大好きです。ただ、毎回上るまではいいのですが、下りることが苦手で、いつも助けを求めて叫んでいました。床に向けてゆっくり手を伸ばすも、届かずに結局はベッドから落ちて大泣きします。けれど、彼は何度落ちようとも、繰り返ししつこくベッドに上ります。

 

彼の中に、失敗してはいけない、失敗するのが恐いという気持ちは皆無です。そして先日ついに、小さな頭で考えたのでしょう、おしりの方から足を伸ばしてゆっくり下りるという方法を身につけました。それ以来、するりと足から下りています。

「何かに挑戦する行動」を妨げないように…

親ですから、子どもが痛がったり泣いたりする姿を見るのは忍びないものです。危ないからといって、ベッドに上らないように柵をつけることも、下りるときに毎回抱っこしてあげることもできましたが、私の母親の育児論では、そういうときは手を貸さない方がいいそうです。

 

彼は現在、どうすると痛い思いをするのか身をもって覚えている最中なのだ、と。親がすんなり手を貸してしまえば、落ちたら痛いと知ることも、どうしたらうまく下りられるか試行錯誤することも、足の方から下りてみようと試して安全な下り方を発見することもありませんでした。

 

また、高いところに上って困ったとしても、叫べばどうせ母親が助けてくれるだろうと、安易に人に頼ってしまえと考えるようになったかもしれません(子どもによっては、叫ぶと母親が来て抱っこをしてくれると覚え、構ってほしいときにわざと転んで泣くようになる赤ちゃんもいるそうです)。

 

そして何より、彼のベッドに上ろうとする意欲や好奇心、ベッドから下りる挑戦の機会を奪うことになるのです。私は親として、ベッドの周りに衝撃を和らげる床マットを敷いておく程度の援助はしておきました。でも、失敗して痛い思いをさせないため、何かに挑戦する行動自体を遠ざけるという方法はとらないよう心がけました。

 

これはベッドと乳幼児という小さな例ですが、子どもが大きくなってからでも結局のところ「親がすべきでないこと」は同じです。親が子どもを愛するがゆえに「失敗させまい」と手を差し伸べる行動は、かえって子どもの「失敗してはいけない」という固定タイプのメンタルセットを強めてしまうのです。

 

そして、結果的に伸びていくはずだった能力を止めてしまうことになります。周囲の人聞が失敗なんて気にさせない環境をつくってあげれば、何歳であろうと赤ちゃんのようにのびのびと成長できるはずです。

なぜ「点数が悪い子たち同士」でかたまるのか?

回定タイプと変動タイプのメンタルセットをもつ子どもが、失敗に対してどう向き合うかを具体的に見てみましょう。「固定タイプ」はテストで悪い点をとると、精神的に大きなダメージを受け、それが続けば「勉強の才能がないからいくらやっても無駄だ」と思い、勉強をしなくなります。

 

一方、「変動タイプ」はテストの点数が悪かったら、間違えた箇所をしっかり見直し、次は間違えないように気をつけるようになります。私が小学生のときに行っていた塾では、テストの点数が悪かった子が、先生による解説の後、さらにクラスの友だちに聞きにいくことがありました。そういうとき、点数が良かった子に説明を聞きにいく子たちと、悪い点をとった同土でかたまって話す子たちに分かれました。

 

今思えば、前者は「変動タイプ」、後者は「固定タイプ」の要素が強かったのだと思います。良い点をとっている子は問題をよく理解しているので、相手が納得しやすいようにやさしく教えられます。対して悪い点をとっている子の場合、その子自身もわかっていないことが多く、教わるにしては効率が良くありません。

 

では、なぜ点数が悪い子たち同士でかたまるのかというと、点数が悪くてショックを受けたとき、同じクラスに自分より点数の低い子がいれば安心するし、同じくらいの点数の子には共感を覚えるからです。しかし、間違えた箇所を理解できるように努めるよりも、自尊心を慰めることばかり優先していては、学力は伸びません。

 

私が東大を受験したとき、入試1日目の数学がまったくできなかったので「これは落ちた」と確信し、さすがにショックを受けました。けれども、「数学を勉強して来年また受ければいい」と早々に頭を切り替えて、その夜は2日目の勉強をやめてホテルのテレビで映画を見ました。「自分はもう東大に入れない」とか「勉強が無駄になった」と思うことは決してありませんでした。

 

母親は、私が「もう落ちた」とふてくされてテレピを見ていたときのことを、よく笑い話にしてみんなに話しました。そのときは「大学に落ちた子に対して、なんてひどい親なんだろう」と思いましたが、「受験に失敗してかわいそう」と落ち込まれたり、まして泣かれたりするよりは百倍マシでした。

「親が可能性を信じてくれること」が安心感を与える

親は子どもの挫折に対して、深刻な態度や大げさな態度をとったりするのではなく、普段通りに接することが一番大切だと思います。以前、アメリカの新聞でも、受験に失敗した子どもに対して親が冷たくなったり、距離を置いたり、態度を変えたりすると、子どもが成長してからも「失敗者」のアイデンティティから抜け出せなくなってしまう、という問題が提起されたことがあります。

 

たった一度くらい大学に落ちたからといって、失敗者なんかではありません。だから、私の親がとった態度はある意味正しかったのだと思います。さらに、今になって振り返れば、そんな受かるか落ちるかギリギリの状態で合格していても、きっと薬学部には入れなかったと思います。浪人して学力を伸ばし、学習スタイルを確立できたからこそ、東大生の中でも良い点数をとれるまで成長したのです。

 

結果論にはなりますが、現役で落ちたことは、自分にとっては失敗ではなく成功だったのです。また、私と同じ学年に、7回目の受験にしてやっと理科Ⅲ類に合格したという猛者がいました。その人とは直接の知り合いではありませんが、周囲から「もう諦めたら?」とか(同級生だった人たちはもう就職しているわけなので)「年を考えたら?」とか諭されたりしていたんだろうな、と思います。

 

けれど一度きりの人生で、彼が絶対に行くと決めた大学は東大の理科Ⅲ類だったのでしょう。そして、また想像ではありますが、彼の親、少なくともどちらか片方は、彼のことを信じて応援していたのではないかと思います。

 

たとえ周囲が反対したとしても所詮は他人で、親が可能性を信じてくれることが、結局は一番安心感を与えるのです。

 

 

杉山 奈津子

作家、イラストレーター

 

静岡県生まれ。東京大学薬学部卒業。作家、イラストレーター。心理カウンセラー。大学卒業後は、執筆活動や講演活動を積極的に行っている。著書に『鬱姫 なっちゃんの闘鬱記』(講談社)、『「うつ」と上手につきあう本』(大和出版)、『偏差値29からの東大合格』(中央公論社)、『偏差値29の私が東大に合格した超独学勉強法』(KADOKAWA)などがある。

著者紹介

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高校3年生の秋に“偏差値29”だった著者は、一浪の末、見事に東大合格を果たす。なぜどん底の成績でも、「自分は受かる」と信じられたのか。なぜ途中で断念することなく、努力を続けられたのか。本書は、自身と周囲の東大生の…

 

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