厚生年金の支給年齢引き上げで、働く高齢者が増加
かつては60歳から満額支給されていた厚生年金が、定額部分についてのみ65歳からの支給に変更されたのは2013年のことです。報酬比例部分についても、段階的に支給年齢が引き上げられていて、2025年には65歳からの支給開始となる予定です。
具体的な例を挙げれば、1953年4月1日より前に生まれた男性と1958年4月1日より前に生まれた女性については、老齢厚生年金の報酬比例部分は60歳から支給されますが、1961年4月2日以降に生まれた男性と、1966年4月2日以降に生まれた女性は、65歳からの支給になります。その間の年齢であれば、61歳からとか62歳からとか、段階的に支給年齢が引き上げられています。
もっといえば、1942年に厚生年金の制度がつくられた当初は、支給開始年齢は55歳でした。その後何度も改正が行われ、そのたびに支給開始年齢が徐々に引き上げられてきたのです。
厚生年金の支給開始年齢の引き上げに伴い、高齢者になっても働き続ける人が増えてきました。生産年齢人口が減少するなか、就業者総数に占める高齢者の割合も大幅に増加しています。
[図表1]高齢者の就業者数の推移
[図表2]就業者総数に占める高齢者の割合の推移
高齢者雇用安定法の改正で、65歳まで労働者の枠内に
この状況に対して、昔は55歳や60歳を超えたら悠々自適で年金生活ができたのに、今は65歳まで働かなくてはならないなんてかわいそう、という見方をする人もいますが、私はそうは思いません。なぜならば、昔の55歳と今の55歳とはその老いの度合いがまったく異なるからです。
たとえば、1946年に連載を開始した漫画「サザエさん」において、主人公サザエさんの父・磯野波平の年齢がいくつであるか、ご存じでしょうか?
髪の毛が薄くなり、すでに孫もいる波平の年齢は、定年退職前の54歳。その奥様で、割烹着の似合う磯野フネは48歳です。タラちゃんから「おじいちゃん」、「おばあちゃん」と呼ばれる波平とフネが、アラフィフであることに衝撃を受ける読者も多いのではないでしょうか。あれが、1940年代の50代の姿だったのです。なにしろ当時の日本人男性の平均寿命は58歳程度しかないのです。
一方、現在の50代はどのようなものかといえば、漫画「島耕作」シリーズが参考になるでしょう。作者の弘兼憲史さんと同年齢という島耕作は、連載開始時点で35歳の課長でしたが、54歳の頃には部長から取締役に昇格しようとしていました。その後、常務、専務、社長、会長と順調に出世して、70歳を過ぎた現在でも会長として仕事に携わっています。当然、同年齢の作者もいまだに現役で漫画を描いています。島耕作が54歳の頃の絵柄を見ると、まだ若々しく40代といっても通じます。当時の男性の平均寿命は78歳くらいでした。2018年現在は、日本人男性の平均寿命は81歳まで延びています。
時代が50年違うとはいえ、磯野波平と取締役島耕作が同年齢とは、言われなければ気がつかないでしょう。実は、磯野波平から取締役島耕作までの50年の年月の間に、日本人男性の平均寿命は20年延びました。そのため極端にいえば、今の70歳は、昔の50歳と同程度に若々しいのです。そして現在、仕事を辞めたあとに体力や時間を持て余して、社会参加をしたいと仕事に就いたりボランティア活動をしたりする60代や70代の方がとても多くなっています。会社人間だった方の中には、仕事から離れてしまったがために元気を失う人も少なくないのです。
そのためなのか、2010年代になると高齢者雇用安定法が改正されて、2013年以降には雇用者を65歳まで継続して雇用する、もしくは65歳までの就業を希望する者を再雇用する義務が、企業に課せられました。これによって、現在の日本では65歳までが労働者とみなされるようになったのです。
これについて、定年が65歳になったと勘違いしている人もいますが、そうではありません。そもそも定年というのは各企業によって異なるもので、国が一律に定めているものではありません。日本は横並び意識が強いのと、年金の支給開始年齢があるために、60歳を定年としている企業が多いのですが、なかには定年制度のない企業や65歳を定年としている企業も以前からありました。
海外の企業はさらにバラエティーに富んでいます。アメリカやイギリスの企業には定年制度がなく、会社のニーズと本人の希望さえあえば何歳まででも働き続けることができます。もっとも、60歳より前にクビになることも多そうですから、それがいちがいに良いのかどうかは分かりません。ドイツは一般的に65歳でしたが、今後は67歳へ段階的に引き上げられることになっています。一方、韓国は45歳とか53歳で定年としている企業が多く、それ以降は非正規で再就職しなければならない厳しい社会でした。そのため、2016年以降は60歳定年制が義務化されました。
営利企業としては働き盛りを超えた人材は、積極的に入れ替えを図りたいところです。しかしそれでは路頭に迷ってしまう人も出てきそうなので、60歳くらいまでは雇い続けてあげようというのが定年制度ができた背景でした。その代わり、60歳定年を迎えたら安心して退職し、引退生活を送ってほしいというのが企業の希望だったのです。それに対して「待った」をかけたのが、改正高齢者雇用安定法です。
再雇用により給料半減、役職定年で肩書き剥奪…
改正高齢者雇用安定法によって65歳までの雇用が実現した日本ですが、始まったばかりの制度のなかで、いまださまざまな問題が発生しています。問題の一つは、60歳定年でいったん退職してから再雇用するという現在の制度の運営です。いったん退職してから再雇用した人に対しては、同じ仕事も同じ給料も保証されないのです。これには致し方ない面もあります。
日本の企業は、これまで年功序列で、年齢が上がるとともに給料も上がる仕組みをつくってきました。やむなく再雇用せざるを得なくなった60歳オーバーの人材に、それまでと同額かそれ以上の給料を支払っていては、会社の財務状況が悪化してしまいます。そのため、再雇用した人にはそれなりの給与しか出すことができないのです。
2015年の国税庁の調査によれば、60~64歳の平均年収は372万円です。60歳前に800万円近くもらっていた大企業の人であれば半額以下になりますし、500万円程度だった人でも2~3割減になります。つまり、60歳を過ぎるとたいていの人は、生活を維持できる程度の金額しかもらえなくなるのです。
人によってはフルタイムでまったく同じ仕事を任されているにもかかわらず、給料だけが半額になるので大きな不満が溜まりますし、仕事のモチベーションにも影響します。このことが、60歳超のシニア人材をマネジメントするときの大きな問題になります。特別な理由もなく、ただ60歳を超えただけで給料が減額された彼らは、仕事に対するモチベーションも著しく減少させているのです。そうなった人たちをどのようにマネジメントするか、年の若い管理職は悩まざるを得ません。
場合によっては、モチベーションの低下はもっと早くから発生します。というのも、65歳までの雇用を保証しなければならなくなった企業の多くは、人件費を捻出するために55~58歳くらいで「役職定年」制度を適用し、それまで部長や課長だった人から役職を奪うとともに、給料をセーブするようになったからです。退職・再雇用ではないので基本給は変わりませんが、役職手当はなくなりますし、それまで持っていた肩書きを奪われることがシニア人材には非常に大きなダメージとなるのです。
また、役職を降りると、空席になったその位置に、かつての部下や年下の社員が入ります。いまだ自分は衰えていないと考えている50代後半の人材にとって、かつて指導した、内心では未熟だと上から見ているその相手が自分の上に立つのは複雑です。大人なので表だって反抗することはなくとも、素直に指示を聞けるわけがありません。また、新しい上司のほうも、年上の部下に気を遣って、遠慮したコミュニケーションになります。これでは、仕事がうまく回るわけもありません。
私は現在、企業に依頼されて、シニア人材向けの研修を頻繁に行っています。そこで目にするシニア人材は二極化しています。意識の高い方々は給料が下がろうと役職がなくなろうと腐ることなく、最後まで会社に貢献しようと頑張っておられるのに対し、ただ収入を得るためだけに会社に籍を置いて、言われたことだけやっていればいいと、まったくやる気をなくしている方もいらっしゃいます。休憩時間になっても席から立たず、誰とも口をきかず、うつろな目で黙って座っている彼らを見ると、いったい何があったのかと心配になってしまうほどです。
年を取るにつれて、希望や未来を失い、仕事にも飽きてやる気を失くすのは人の常かもしれません。定年制度を設けて人材の新陳代謝を図りたいという会社の論理もよく分かります。しかし、65歳までの再雇用・継続雇用が義務づけられた現在、どのような人材であっても活用していくのが会社と管理職の務めです。
かつての上司や人生の先輩を部下としてマネジメントしていくことは、慣れないことでもあり難しいことかもしれません。しかし今後、シニア人材活用のニーズはますます高まることが予想されます。良きにつけ悪しきにつけ、私たちはこの現実に対応していかねばならないのです。
西村 直哉
株式会社キャリアネットワーク代表取締役社長
人材育成・組織行動調査のコンサルタント