前回は、世代間での認知機能の傾向の差について解説しました。今回は、各世代と円滑にコミュニケーションをとる方法について見ていきます。

「社員のマネジメント」はどうあるべきか?

そもそもマネジメントとはどのようなものか。英語の「マネジメント」(management)を日本語に直訳すると、「経営」とか「管理」とか「やりくり」といった意味が出てきます。さまざまなリソース(資源)をやりくりして成果を上げることが、そもそものマネジメントだったのでしょう。

 

なお、本連載でいうマネジメントとは、経営管理の中でも特に人材マネジメントを指して使っています。そして、経営管理がすでにあるリソースをいかにやりくりするかが重要であるのと同様に、人材マネジメントも、すでに雇用している人材をどのようにすれば最大限活用できるのかが大切になってきます。

 

つまり、どんな人材であれ、その能力を仕事に合わせて最大限に引き出すのがマネージャーの腕の見せ所です。ちなみに、経営学習論を専門とする立教大学の中原淳教授によれば「他者を通じて、物事を成し遂げる」ことがマネージャーの本質になります。

 

このようなマネージャーの役割、およびマネジメントの目的を考えるうえで、私は基本に立ち返るべきだと考えて、古典をひもときました。チェスター・I・バーナードの『経営者の役割』です。バーナードによれば、そもそも組織とは、個人の限界を乗り越えるために個々人が協働し、やがてその協働のシステムに個別の役割が生まれて成立したものです。そして、その組織を維持するために生まれたのがマネジメントであるとしています。

 

同じことを『経営学辞典』では、次のように記述しています。

 

「共通の組織目的を達成するために、二人以上の人間が特殊化するとともに、相互に調整された合理的な人間行動のシステムを組織という」

 

さて、バーナードは組織が組織として成立するには、次の3要素が不可欠であるとしています。

 

①共通目的

組織を構成する個々人にはそれぞれの目的がありますが、それらが必ずしも一致しているとは限りません。組織になるためには全員が合意できる共通目的が必要です。

 

②貢献意欲

貢献意欲とは、個々人の行動を組織の共通目的の達成に向けていくことです。

 

③伝達

伝達とは、共通目的を伝達し、組織構成員に貢献意欲を喚起するためのコミュニケーションです。

 

そして、この伝達(コミュニケーション)は、それぞれの世代によってやり方を変えるべきであるというのが私の考えです。

多くを話さず空気を読む…日本のハイコンテクスト文化

より良いマネジメントをするためにはどうしたらよいのか。その答えを探してさらに古典をひもといた私は、文化人類学者エドワード・T・ホールの著書『文化を超えて』の中で、そのヒントを見つけました。

 

ホールは世界各国の文化を比較するなかで、コンテクスト(文脈)に注目しました。コンテクストとは、実際に言葉として話される内容に対して、言葉にされていないのにお互いに了解されている内容のことです。

 

ハイ(高)コンテクストな文化では、交わされる言葉以上に、お互いの関係やその場の状況や空気による理解が重要とされます。一方、ロー(低)コンテクストな文化においては、言葉にしなくては内容が伝わらないために、できるだけ精緻(せいち)にすべての情報を言語化しなければなりません。

 

ハイコンテクストな文化の代表として、ホールが例に挙げているのが日本です。島国であり、歴史的にも「鎖国」制度を採っていたこともあって、日本は同質性の高い文化ができ上がりました。アイヌや琉球人や在日外国人といった例外はあるものの、ほぼ同一民族で同一言語が話されている日本では、すべてをくだくだしく言語化しなくても、お互いに理解し合えるハイコンテクストな「忖度(そんたく)」文化が支配的でした。

 

たとえばホールは、1960年代に日本で長期滞在していたホテルで、何の説明もなく部屋替えが行われ、荷物が勝手に移動される経験をしました。アメリカ人であるホールにとって、事前の了解なく部屋を替えられたり私物に勝手に触られたりすることは、深刻なパーソナルスペースの侵害にあたりました。しかし、ホールは同じことをされても怒らない日本人を見て気づきます。

 

日本においては、どこかに「所属」することが何よりも重要であり、ホテルに所属した客は「ヨソ者」ではなくなり、ホテルの一員として家族扱いを受けるのです。それはホテルの「おもてなし」であり、そうなって初めて客もリラックスできます。事前に了解を得ることなく部屋を替えるのも、荷物を勝手に移動するのも、家族の一員として扱っていることを示すホスピタリティーだったのです。

 

なるほど、家族であれば、いちいち了解を求めるようなことは「水臭い」と捉えられるかもしれません。親は子どもに「掃除のためにあなたの部屋に入ってもいいですか?」と尋ねることはないでしょう。それは家族間の暗黙の了解でOKとされているからです。

 

しかし、アメリカではたとえ親子であっても、勝手に部屋に入ったり、無断で家に人を呼んだりするのはルール違反だとみなされます。それだけ個人が尊重されているのでしょうし、言葉にして了解を得なければ深刻な問題になるかもしれないからです。

 

移民が多く多文化が共生するアメリカや、周辺諸国と地続きで多民族が暮らすドイツは、ローコンテクストな文化の代表です。そこでは、相手がどう感じているのか、何をしたいのかをいちいち言葉で確認しなければ分からないものとされていますし、自分の意向や意見もまた、丁寧に言葉で説明しなければならないとされています。それができない場合には、不気味なヨソ者とみなされてしまうのです。

 

たとえば、日本では男性が女性を食事に誘ったときに、暗黙の了解で男性が支払い、女性もそれを期待しているとされています。そのため、割り勘を求められた女性が、その場ではにこやかにしつつも、あとからネットなどで「信じられない」と愚痴っているのを見ることがよくあります。このようなハイコンテクストな文化が度を超すと「せっかくお手洗いに立ったのに、その間にスマートに支払いを済ませておかない男性は駄目」だとか「女性はおごってもらうつもりでも、いったんは財布を出して支払う姿勢を見せるのがマナー」だとか、謎の忖度合戦が繰り広げられます。

 

ところが、ドイツ人男性とデートをした日本人女性によれば、食事のときにストレートに「私はおごってもよいと思っているが、あなたはどう思っているのか。もしおごってほしいのであれば、そう言ってほしい」と言われたそうです。

 

ハイコンテクストとローコンテクストは、ハイ(高)とロー(低)の名前がついていますが、それらはコンテクストの多寡(たか)を表すものであって、優劣を示すものではありません。どちらが良い悪いではなく、ただ文化によって表現方法に違いがあるということです。

 

ありていにいえば、ハイコンテクストの文化は「聞き手中心主義」のコミュニケーションといえます。

 

ハイコンテクストのコミュニケーションでは、言葉による説明が少ないために、どのように理解するかは聞き手次第になりますから、コミュニケーションの責任は聞き手に委(ゆだ)ねられます。そのため、日本では十分な説明をしなかったとしても、理解できない相手のほうを「分からんやつだ」と責める傾向があるのです。

 

ハイコンテクストの文化では、聞き手はコミュニケーションに参加する前にその集団における明示されないルールを情報収集し、場の空気を読むことに専念しなければなりません。

 

日本では初対面の人同士で話し合うときに、時候のあいさつなどを交わしながらその場のルールを探り合わねばなりません。そこでは、単刀直入な話は好まれません。会議が長引くのはそのためです。皆がどのような結末を望んでいるかの空気を読んで、予定調和の結末に持っていかねばなりません。

 

一方、ローコンテクストの文化は「話し手中心主義」です。どれだけ丁寧に言葉を尽くして相手に理解させるかが問われるので、コミュニケーションが伝わらなかった場合の責任は話し手にあります。相手が理解できなかった場合は、話し手の表現が悪かったのであり、聞き手が責められることはありません

 

話し手は自分の意思をはっきりさせねばなりませんし、相手が理解したかどうかをきちんと確認する必要があります。「言わなくても分かると思っていたのに」は通用しませんから、自分の発言や言動にはしっかりと責任を取ることになります。

 

たとえば日本では会社に電話をかけて「Aさんはいますか?」と言えば、それだけでAさんに取り次いでもらえます。しかし英語ではそのような場合、通常は「Aさんと話せますか?」と表現します。どちらも慣用句ですが、もしも日本文化に馴染みのない人が電話を取った場合、何を要求されているのか戸惑うかもしれません。

シニアへはハイコンテクストのコミュニケーションを

グローバル化時代を迎えて、日本でもハイコンテクストな表現がだんだんと通じなくなってきました。たとえば、ホールが1960年代に体験した日本のホテルの無断の部屋替えも、現代の日本では起こりにくいことだと思います。

 

会社組織においても「上司より先に帰ってはならない」とか「先輩が有給休暇を申請するまでは、後輩は申請してはならない」とか「残業時間が法定時間を超えたらサービス残業にする」とか、そのような価値観が残っていたとしても、「分かっているよな」で言外に強制されることは少なくなってきたように思います。

 

ハイコンテクストの表現を理解するためには、その場で発せられる言語以外にもさまざまな情報を持っていなければならないため、子どもや外国人などの異文化人に優しくないのです。そのため、最近はおおやけに使われることは少なくなってきました。

 

ハイコンテクストとローコンテクストの、それぞれの特徴は次のようになります。

 

<ハイコンテクストの特徴>

 

①直接表現を避け、曖昧な表現を好む

例1 「いつもお世話になっております。今後ともよろしくお願いいたします」

例2 「Aさんってちょっとアレだよね」「あー、うんうん、分かるー」

 

②すべてを話さないで、行間や紙背を読ませる

例1 「君のように優秀な人材は我が社にはもったいない(もっと大手で働いたほうがいいと思うよ)」

例2 「誘ってくれてありがとう! 行けたら行くね!」

 

③論理中心ではなく、情緒的表現を好む(論理的飛躍の許容)

例1 「我が社はBさんでもっているようなものですから、今回もいいところを見せてくださいよ」

例2 「風邪をひいたくらいで休むな。気合いで出社しろ。仕事していれば元気が出る」

 

<ローコンテクストの特徴>

 

①直接的で分かりやすい表現を好む(アメリカのドラマを参考に)

例1 「君はクビだ。今日中に荷物をまとめて出て行ってくれたまえ」

例2 「私はあなたを世界でいちばん愛しています」

 

②言葉を重視して、分かりやすい論理で意図を伝える

例1 「ターゲットが若者なので、若者に受けるコピーにしました。年配の方には共感されないと思います」

例2 「私はトマトが苦手なので、作っていただいたこの料理は食べられません」

 

③論理中心に直線的でシンプルな表現を好む。寡黙であることは評価されず、論理的飛躍は許されない。

例1 「Aさんはマンションを購入して住宅ローンを抱えたので、多少無理を言っても会社を辞めることはないでしょう。この件はAさんに頼むことにしましょう」

例2 「今日が人生最後の日だとしても、それをやりたいと思えることであれば、挑戦する価値はあります」

 

このように見ていくと分かるように、ハイコンテクストのコミュニケーションは、お互いによく知った間柄で、長年深い付き合いを続けている同士には適しています。一方、ローコンテクストのコミュニケーションは、お互いのことをあまりよく知らず情報格差があったり、母語がそれぞれ別々で会話に誤解が生じやすかったりする、異文化間コミュニケーションに適しています。

 

ここまで言えば分かると思いますが、シニア人材のマネジメントにはハイコンテクストのコミュニケーションが、若手社員のマネジメントにはローコンテクストのコミュニケーションが適しています。

 

なぜならば、すでに仕事の経験も豊富で会社の文化にも熟知しているシニア人材は、知っていることをドヤ顏で説明されることを嫌がり、すべてを任されることを好むからです。一方、仕事についても会社についてもあまり知らない若手社員は、逆に何も説明されないことに不安を覚えます。そのため、できるだけ具体的に、仕事の指示内容を説明してあげるのがよいのです。

 

これが逆になると、最悪のコミュニケーション不全が起こります。若手社員に対して、こちらの意向を忖度して勝手に動くことを求めても、たいていは失敗に終わりますし、シニア人材に対して「あれをしてください、これをしてください」と指示を出すと、「若造が何を言うか」と、相手の機嫌を損ねてしまいます。

世代間ギャップに勝つ ゆとり社員&シニア人材マネジメント

世代間ギャップに勝つ ゆとり社員&シニア人材マネジメント

西村 直哉,江波戸 赳夫

幻冬舎メディアコンサルティング

管理職必読“ダイバーシティマネジメント"シリーズ、待望の第二弾! ジェネレーションギャップに悩む「管理職」必読! 「各世代の価値観」を理解し「ジェネレーションギャップ」を乗り越えろ。 それぞれの世代に有効な…

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