<あらすじ>夫に愛人がいることを確信した雪江は、当てつけとして巧との旅行を画策した。しかし巧はこの旅行の理由となった雪江の嫉妬を見破っていた。夫への悔しさと、自らに対する罪悪感を背負ったまま、車は旅館へと到着する…。一部の富裕層しか知らない「愛人」を持つことの金銭的な損得勘定に真剣に迫るリアル小説、女編〜第10回。

「すげー! この旅館、めっちゃ豪勢じゃん!」

 

今夜泊まる宿に着き、客室に案内された巧は、若者らしいリアクションをした。

 

雪江の提案により、ふたりは箱根へやってきた。

 

強羅にある旅館の中でも特に高級なクラスの宿を予約したのは、急だったから他が空いていなかったのもあるが、非日常な空間に浸りたかったという理由でもある。

 

「ね、ここって一泊いくらっすか?」

 

「12万」

 

「雪江さん、金持ちっすね」

 

「そんなことないわよ。今日は特別」

 

「歯科医ってやっぱ儲かるんすか? さすがにこういう出費は、旦那さんの金じゃないんでしょ?」

 

「ウチは生活費も割り勘よ。別にそんなに稼いでもいないけど、 自由になるお金くらいはあるわ」

 

「ですよね。投資用のマンション持ってるくらいだし」

 

「投資用に持っている」とウソをつき、巧が住むためのマンションを購入し提供したことに後悔はない。

 

だけど、その部屋に巧が住むようになって以来、ふたりの関係は少しずつ変化している。

 

ハウスキーパーのときはプロとしてきちんと仕事してくれるが、マンションで会っている時は、ホストと客のような甘え方と図々しさが混じるようになってきた。

 

いたわりを感じられていた交わりも、即物的になってきた。

 

男と女が親しくなれば、ふたりの間に流れる空気も変わっていく。

 

それは心地よさでもあるのだが、親近感が馴れ合いになるのと反比例して、ときめきは薄れてゆく。

 

近づくほど、巧は「元ホスト」の片鱗が浮き彫りになってくる。

 

そのたび雪江は軽く失望するが、おかげで彼とは「割り切った関係」であることを忘れずにいられる。

 

***

 

翌朝、チェックアウトしたふたりは速やかに東京へと向かった。ろくに観光もできなかったが「好きな男と外泊する」目的は達成できた。

 

「ごめんね。どこも寄れなくて」

 

「いいっすよ。あんなすごい旅館に泊まれただけで、満足っす」

 

「ホストだった頃、客とは旅行しなかったの?」

 

「しませんよ。たとえ小遣いもらえるとしても、そんな長時間拘束されたら身が持たないって」

 

「私とは……イヤじゃなかった?」

 

「イヤだったら断りますよ。そもそも仕事じゃないし」

 

「だよね。ありがとう」

 

山道のカーブを降りながら、雪江はぼんやりとこれからのことを考えた。

 

夫への不満と寂しさと退屈がごちゃ混ぜになった感情で、「愛人を作る」と言う衝動を起こしてしまった。


刹那だということはわかっている。この関係もいつか終わりが来る。

 

夫と離婚することになったら、巧とも別れるだろう。

 

それとも、後ろめたさがなくなり、さらに巧を求めてしまうだろうか。

 

どちらに転ぶのかは、その時になってみないとわからない。

 

今はまだ、考えないようにしよう。

 

「この車って、いくらぐらいなんですか?」

 

急に巧が話しかけてきた。

 

「500万くらいよ。なんで?」

 

「これって、旦那さんと兼用じゃないですよね?」

 

「ええ。夫は別の車を持っているわ」

 

「いいなぁ。俺、車好きなんですよね。ホストやめて手放しちゃったけど」

 

「そうなんだ。前はどんなのに乗ってたの?」

 

「中古のBM。 まあ自分で買ったんじゃないっすけど」

 

「お客さんに買ってもらったの?」

 

「ええまぁ。やっぱり売らなきゃよかったかなー」

 

「客に買ってもらった」これは雪江にとってキラーワードだ。

 

もう繋がりがないことはわかっている。

 

だけどつい、巧が知っている女の中で一番になりたいと思ってしまう。

 

「中古でいいなら……買ってあげようか?」

 

「マジっすか!?」

 

「ええ。ただし維持費と駐車場代は自分で出してね」

 

「もちろんっすよ。やべー! 超嬉しい!!」

 

満面の笑みを浮かべていることは、見なくてもわかった。

 

マンションを提供した時よりも数倍、喜んでいるように見えた。

 

こうやって客は、お気に入りのホストに貢いでしまうのだろう。

 

巧から愛と笑顔と恍惚の時間をもらうためならば、金額なんて関係ないとさえ思ってしまう。

 

果たしてこれが「生きたお金の使い方」なのかといえば、心のどこかに疑問が残る。

 

だけど今の雪江にとっては、念願だったクリニックを開業することよりも、巧がそばにいてくれるほうが尊く思える。

 

***

 

2時間後、巧のマンションの地下駐車場に着き、車を降りた。

 

「あれ? 雪江さんこのまま出勤するんじゃ?」

 

「朝から長時間運転したから、疲れちゃった。少し休ませて」

 

巧の返事を待たず、雪江はバッグを巧に預け、エレベーターのボタンを押した。

 

部屋に入りソファに腰掛けると、一気に疲れが襲ってきた。

 

「コーヒー淹れますね」

 

巧は元気だ。帰宅してから座ることなく、テキパキと動いている。

 

(当たり前か。ずっと助手席でのんびりしてただけだもんね)

 

現実が少しずつ戻ってくる。

 

あと1時間したら、出勤しなければならない。

 

ふと、指先に何か硬いものが触れた。

 

ソファーの背もたれと座面の間に手を入れたら、スマホが出てきた。

 

通知を示すランプが点滅している。

 

何気なく側面のボタンを押し、明るくなった画面を見た。

 

(これって、もしかして……)

 

巧がキッチンから戻って来ないうちに、雪江はスマホを自分のバッグにしまった。

 

〜監修税理士のコメント〜

※愛人にプレゼントする車は経費にできる?
 

編集N 車ほど高額なプレゼントは、経費になりますか?

 

税理士 もちろん経費にはなりません。

 

編集N でも車の名義を購入した雪江で登録すれば、経費にできそうですよね?

 

税理士 個人事業主が車に関する費用を経費に計上するためには、その車が事業に直接必要なものでなければなりません。

仮に事業に直接必要であったとしても、自動車は固定資産(減価償却資産)となるため、購入金額が一括で経費になる訳ではありません。車の耐用年数(使用可能年数)で配分した「減価償却費」という形で毎年の経費になります。車の耐用年数は新車の場合で6年です。つまり、300万円の新車を購入して100%事業用として使用した場合には、毎年50万円が減価償却費として経費に算入されるわけです(購入初年度は月割計算が必要です)。
 

また、車の使用目的が事業用とプライベート用を兼ねる場合には、事業用として利用する分のみが経費として認められます。車の走行距離などから事業用とプライベート用を合理的に按分して、必要経費になる金額を算定することが必要になりますので注意が必要です。

 

編集N この場合、愛人といっても仕事上は外注ですから、買ってもらった車を通勤に使えば、その分だけは計上できるということですか?

 

税理士 そうはなりません。雪江が車を買って、その車を雪江が自分の事業のために使うことが必要です。巧に使わせたのでは雪江の事業の経費にはなりません。巧が雪江の専用の運転手で、その車を使って雪江が常に移動しているのであれば車に関する経費は認められるでしょう。しかし、実態は違いますから、やはり経費算入は難しいですね。

 

編集N それでは、巧が雪江を毎日送迎して出勤に使っているとすれば「事業用」になりますか?

 

税理士 朝晩の送迎だけで、日中は巧が車を自由に使える状況になっているとなると、全額を経費計上するのは難しいですね。税務調査のときには車の利用状況を必ずチェックされますから気をつける必要があります。

 

(つづく)

 

 

監修税理士:服部 誠 

税理士法人レガート 代表社員・税理士

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この物語はフィクションです。

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