最初の建設を担当した会社の協力で、土地を確保
再び中山先生の教えが脳裏をよぎりました。中山先生の教えを英訳したものは、千葉大学医学部の同窓生によって組織された「千葉医学会」のロゴの下にデザインされており、私だけでなく千葉大医学部の卒業生の心の中にしっかりと刻み込まれているはずです。
思い立ったら行動に移さなければならないという性格ですから、開業2年目にして、2番目の施設の開業に着手することになったのです。むしろ、やらなければいけないという思いにとらわれていたのかもしれません。
人工透析のライバルが少ないところはどこか、そして遠距離から通っている患者さんたちは、どの方面から来院しているのか。こうした情報を集め、この間まで走り回っていた千葉の各地を思い出しながら検討しました。そして、また忠さんと週末に千葉県巡りを始めることになったのです。
いろいろと探し回った結果、場所の目星としてどうやら八日市場のあたりが適切ではないかという結論に達しました。そこで、ポイントを八日市場に絞り、仕事前の早朝や仕事終わりの夜、そして休日を使い、また農地を貸してくれる人がいないかと尋ねて歩くようになったのです。仕事前後ですから革靴のまま、田んぼのあぜ道をさまよい、働いている農家の人がいれば、土地を貸してくれないかと声をかけて回りました。
その時に思いついた方法が、忠さんと2人で目的地周辺のお店に通うことです。例えば高級なうなぎ屋さん、キャバレーや居酒屋、バーなどなど。というのも、そういったところには地元のお金持ちの大旦那が遊びに来ていたりするからです。
お店の女の子にこっそり、「お客さんにお金持ちの常連はいない?」などと聞いて、「あの人」と教えてもらったら、唐突にその人物に声をかけ、事情を話して土地について尋ねました。相手にしてみれば、見ず知らずの男から突然おかしな不動産話を持ちかけられたら、信用するはずもありません。なかなか、首を縦に振ってくれるような人物には巡り会えませんでした。
しかし、別の地主さんや不動産屋さんを紹介してくれる人はいて、教えてもらったらそこへ馳せ参じる、という繰り返しをしていました。
そんな時、前回建築を担当してくれた青柳建設から連絡が入りました。私たちがまた土地を探しに動き回っていることを聞きつけたそうなのです。事情を説明すると、ものの1週間程度で、物件を貸してくれる地主さんを見つけ出してくれました。やはりプロには敵わないものです。これで土地の確保は何とかできそうな風向きになってきました。
「医療法人化」という新たな法的な手続きが必要に
一方で、新たに法的な手続きが必要になりました。というのは、個人開業の医院が施設の数を増やすためには、医療法人(社団)にしなければならなかったのです。まったくできないわけではないのですが、個別に広げると、個人口座でそれぞれの管理をすることとなり、累進課税によって税率が高くなってしまうのです。
しかし医療法人化すれば、一つのグループとして私個人の口座とは別の法人口座を開設することになるため、資金が明確に分離されます。また、所得も給与となるため、給与所得控除を受けることができたり、国保などからの振込の際に引かれていた源泉徴収もなくなったりし、税率も抑えることができます。
一方、従業員に対する厚生年金と社会保険への加入義務が発生します。また農地取得の手続きの変更や事業報告書の作成など、法人としての煩雑な手続きが必要になるというデメリットもあります。会社経営者の方々なら、むしろ私より詳しいでしょう。
こうしていろいろと法人化する際のメリット、デメリット、手続きの方法などについて、勉強しました。
事務方のメンバーらともいろいろと相談して、法人化の方法を学び、翌1992(平成4)年12月10日に「医療法人(社団)明生会」が誕生しました。これにより、新しい施設の建設が可能になったほか、のちに始めることになる介護関連など、より幅広い事業に取り組むことができるようになったのです。あとは八日市場に2番目の施設を建てるだけです。