たった2年で2つめの施設を構えたが・・・
ところが、そんな私の希望が、暗礁に乗り上げそうになりました。
それはもちろん、周囲の反対です。せっかく苦労して都合3億円ほどの借金をし、まだ返済もほとんど終わっていないうちから、さらに3億円をかけて施設をつくると言い出したのですから。まずは妻に「どういうつもりなの!」と激しく怒られました。
次に、当時の婦長にも厳しい口調で言われました。「せっかく最初の施設が波に乗ってきたところなのに、また新しく施設をつくるのですか」
確かに皆さんのおっしゃるとおりなのです。2つめの施設をつくったせいで、最初の施設の業務が疎かになってしまっては元も子もありません。また、ただでさえスタッフが足りないぐらいなのに、さらに新しくスタッフ集めを行わなければならないのです。
一般的にいわれているのが、看護師の養成学校数自体が西高東低で、圧倒的に西日本のほうが看護師のなり手が多いそうです。
医学部は全国にたくさんあり、医者にはならず常勤研究員として研究に専念したり、常勤研究員としての空きさえもなく、非常勤で研究職を務めるしかなかったりする「ポストドクター(ポスドク)」は万単位でいるのにもかかわらず、看護師は医療機関の数に対して少なく、志望者の数や看護学校も全然足りていないそうです。
今でこそ大学が看護学部を設置したりして、看護師になる道は増えましたが、それでもまだ東日本では依然として人材不足が続いているとのことでした。
90年代初頭のバブルの名残もあった頃ですから、肉体労働で夜勤もありキツイ仕事が続く看護師よりも、華やかなオフィスレディーになるほうが好まれたのでしょう。看護師の採用は昔も今も大変なのです。それでも、透析クリニックとしての実績を積んで信頼を得たことで人づての紹介も増え、何とか開業できるだけのスタッフを集めることができました。
こうしてまた一つ歯車が動いたのですから、これを戻すわけにはいきません。無理を通して、1993(平成5)年11月に、八日市場に2番目の施設「東葉クリニック八日市場」を開設しました。もう医療法人化していましたし、信頼と取引実績もあったので、京葉銀行からの融資については問題ありませんでした。
また何十回も設計を繰り返してはボツにしてご迷惑をかけた分、透析施設設計に慣れた建築士の水野氏、そして青柳建設にお願いしたので、初めての時とはまったく異なり、スムーズに開業することができました。
たったの2年で2つめの施設を構えてしまったわけですから、知人たちや学会関係者たちは「本当に建てちゃったのか」と驚いたことでしょう。
大病院に「医療連携先」として認められる努力が不可欠
ところが、理想と現実はなかなか一致しないものです。オープンしてから、これまで東金で常連だった一部の患者さんたちからは「近くなってよかった」という声を聞きましたが、新規の患者さんからの電話は一向に鳴りません。正直なところ、ほぼ半年は開店休業のような状態を余儀なくされました。
あくまで透析施設はスポットであり、大きな病院から人工透析患者の転入依頼をされなければ、なかなか患者数は増えません。東葉クリニックは東金では知られた存在でしたが、八日市場ではまだ知名度のない「新参者」だったのです。
これは失敗だったのではないか。時期尚早だったのではないか。不安な気持ちでいっぱいになりました。
ある時、旭中央病院の諸橋芳夫院長(当時)から、自分の病院では透析患者が増えて一杯になってきたから、どこかサテライトとして受け皿になるところはないか、との噂を聞きつけました。これ幸いと、私は大森先生とともに旭中央病院へ出向き頭を下げました。しかし、その時には話はまとまらずに終わりました。
その後、旭中央病院の院長がすぐに代わったのですが、2代目の院長は千葉大の先輩でよく知っている村上信乃先生だったのです。今度は忠さんと共に再度お願いに行き、何度か通ううちに旭中央病院の看護師さんたちとも親しくなることができました。
こうして、ようやく旭中央病院をメインに人工透析の患者さんたちを受け入れる医療連携体制をつくることに成功したのです。
これで分かったことがあります。東金で成功していたために深く考えていませんでしたが、千葉県内では私たちはまだ海の物とも山の物ともつかない存在であり、新規に施設を開業するときにはマメに近隣の大きな病院に通って交渉し、医療連携先として認められる努力をすべきということです。
プライドなどは最初からありません。特に明生会のような人工透析専門のクリニックは、ほかの大病院に比べて医療が限定的だからこそ必死に患者さんの転入をお願いしなければなりません。その後に一定の実績を上げることによって知名度が上がり、信頼される医療機関となっていくのです。
要は人間関係です。学会や研修、イベントなどがあれば、できるだけ参加し、積極的に学会発表や挨拶などをして顔をつないでいく。これこそが医療機関の営業努力なのだと思います。いわゆる「顔の見える関係づくり」が大切です。