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約25億円の預かり資産でスタートを切った投資会社
前回に引き続き、筆者のウォール・ストリートでの起業について追っていく。
カラム氏にもまた、筆者とは違った意味で勝算があった。実は、カラム氏はスイスユニオン銀行で、ギリシャの大富豪であるマブロマチス氏の資産運用を担当していた。マブロマチス氏は数億ドル以上の資産を持つ、当時のスイスユニオン銀行でも最大手の富裕個人客の一人といわれていた。その資産は、アフリカで世界最大級のコーヒー農場を経営していた父親の遺産を相続したもので、マブロマチス氏は、生まれついての富裕層だった。
そのマブロマチス氏が日本株投資に興味を持ったことから、カラム氏を通じて筆者が紹介されたのだ。カラム氏と筆者は、二人でマブロマチス氏の資産運用を助言するような立場になっていたわけだ。このマブロマチス氏のファミリー・オフィス開設に当たり、カラム氏がスイスで投資の責任者として会社を設立するので、筆者も日本株担当として参加するというものだった。
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「二人でそれぞれ投資会社をつくって、一緒にマブロマチス氏の資産を運用しないか?」ある日、カラム氏はそう筆者に誘いをかけてきた。「私は欧米の株を、シュウは日本を中心に運用すればいい。マブロマチスさんがバックにいれば、他の富裕客の開拓もできる。新しいプライベート・バンクを起業しよう」
こうして、筆者はニューヨークで一人、アベ・キャピタル・リサーチを設立することになった。カラム氏も同時期にスイスユニオン銀行を退職してジュネーブに帰り、資産運用会社を設立する手はずだった。
ところが、独立早々に想定外の事態が起きてしまった。なんと、ジュネーブに帰ったカラム氏は会社を設立する過程で、マブロマチス氏との話がうまくいかなくなり、結局、起業をやめて再就職してしまったのだ。カラム氏に悪気はなかったが、筆者は一人取り残されてしまったのだ。
幸いなことに、筆者は会社を設立した初日から当初の予定通り、マブロマチス氏から1000万ドルを委託運用する契約を取り付けていた。当時の為替レートは1ドル=250円だったから、約25億円の預かり資産で私の投資会社はスタートを切った。オフィスも無料で借りていた。スイス三大銀行の一つであるクレディ・スイス銀行の投資顧問部門と交渉して、日本株のリサーチ・アドバイスを行う代わりに、空いている一室を借りうけることができたからだ。
カラム氏はいなくなってしまったが、創業初日からビジネスの基盤はできており生活に不安はなかった。むしろ、弱冠30歳の日本人が異国にて一人で立ち上げた会社としては、上々のスタートを切ったといってもいいだろう。4月に開業してからの約5カ月間、運用は順調だった。時はちょうどバブル景気が始まった頃で、日本株はどんどん上昇し、筆者自身も独立の興奮で無我夢中で仕事をしていた時期だった。
しかし、マブロマチス氏という大口顧客の資産に頼るだけの会社の経営はとても不安定なものだった。もしもマブロマチス氏が資金を引き上げてしまえば、瞬く間に会社の経営は立ち行かなくなるだろう。そして、運用がうまくいっているうちはいいのだが、大きな損失が出ればマブロマチス氏はすぐに投資からの撤退を検討し始めるだろう。
プラザ合意による「円高ドル安」が進行する中で・・・
1985年9月22日、筆者の心配が現実のものとなる日が来た。ニューヨークのプラザホテルで極秘裏に開催された先進国蔵相会議で、ドルに対する円の切り上げ、すなわち円高ドル安への誘導が決定された。いわゆるプラザ合意だ。
プラザ合意の背景になったのは、アメリカの大幅な貿易赤字だった。日本は、アメリカに自動車・半導体・家電製品など工業製品を次々と輸出し、膨大な利益を計上し世界市場を独占していた。アメリカの企業の製品は競争力を失い、市場から撤退していった。増え続けるアメリカの対日貿易赤字を何としても減らす必要があるという先進国の認識は一致していた。その結果、円を含む先進国の通貨すべてを、ドルに対して切り上げることで合意が交わされた。
円高になれば、日本からアメリカへの輸出製品の価格も高くなるため、日本製品があまり売れなくなる。それまでは安くて品質がよいとされていた日本製品の価格を上げて、アメリカの国内産業の競争力を回復し貿易赤字を減らそうとしたのがプラザ合意なのだ。
とはいえ、変動相場制のもとで通貨を切り上げたり、切り下げたりするのは簡単なことではない。プラザ合意では、先進国の政府が一斉に為替介入を行うことになった。アメリカ以外の各国が、保有するドルを一度に大量に売り出して、自国通貨に交換することにしたのだ。突然、ドルが大量に市場に出てくれば、ドルの価値は下がり、その代わりに買われた通貨の価値が上がる。こうして、プラザ合意のもと、急激な円高ドル安が進行することになった。
プラザ合意の発表で、先進国の中央銀行は確実にドル安が進むことを断固たる姿勢でマーケットに知らしめた。今後、確実に安くなる通貨をいつまでも保有しておきたいと思う人はいない。発表があった途端、1ドル240円だった円はあっという間に220円、200円と高くなっていき、それとともに日本企業が輸出不振になると見越した投資家が、日本株を売りに走った。
プラザ合意後の、日銀の金融引き締め政策もマイナスに響いた。マブロマチス氏のために筆者がつくっていたポートフォリオは、そのほとんどが割安の建設株で、それまでにかなりの含み益を出していたのだが、それらはあっという間に吹き飛んで、含み損を抱えた。
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マブロマチス氏は、すぐに連絡をとってきた。筆者は、株価の下落は一時的なもので、建設会社は円高でダメージを受けることはないため、しばらく様子を見るべきだと伝えた。しかし結局、マブロマチス氏は株のほとんどを売却して、ポートフォリオの多くを現金化することを決断した。マブロマチス氏のポートフォリオにおける含み益は、現金化の過程で損失になっていた。
幸いなことに、マブロマチス氏は資金をすべて引き上げることはせず、引き続き、アベ・キャピタル・リサーチに運用を任せてくれることになった。しかし、短期的な市場の変動で受けた実現損で、マブロマチス氏の日本株に対する見方は大きく弱気に転換した。当時の筆者は氏を十分に説得する術を持たなかった。
実際のところ、マブロマチス氏が慌てて売却した株の多くは、一時のショックを乗り越えた後はまた上昇を始めた。もし保有し続けていれば、そこから始まった大バブル相場でポートフォリオは確実に2~3倍に拡大していたはずだ。
筆者は自分がマブロマチス氏の信用を大きく失っていることを感じると同時に、筆者自身、市場の変動に際して冷静に対応するプロの投資家を顧客に持つことの必要性を強く感じるようになっていた。当時、筆者はある投資のアイデアを温めていたのだが、マブロマチス氏に披露する気をなくしていた。
筆者は、二人の関係が長くは続かないことを予感した。そしてもし、マブロマチス氏がファンドの解約を通知してきたら、アベ・キャピタル・リサーチは、窮地に立たされることも理解していた。
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