医者が見抜けなかった患者の異変に気づいたスタッフ
ここでもう一つとても大事なことが出てきます。目の前の人をちゃんと知る、付き合えるようにすることは、どうしても自分一人の力だけでは難しい。
私が、そのことを実感させられたのが介護職のスタッフの一言でした。ある患者さんのことで「先生、あの人ちょっと変だよ」と言うのです。当時はまだ介護福祉士という資格もなく看護助手と呼ばれていて、特に資格も持っていないスタッフが「あの人、変だ」と言う。
「変って何? 熱がどうとか血圧がとか、具体的に言わないと分からないよ」と私は返したのですが、「だって、変なんだから。いつもと違うから」としか言いません。
正直、そのときの私は「何言ってるんだか」と思ったものの、やはりちょっと引っ掛かるものがあったんですね。ちょうど、その日は当直だったので「じゃあ採血でもしてみるか」と検査したところ、「えっ」と思いました。
肝機能、腎機能の数値が著しく悪化していたのです。医者の自分の見立てでは、それほど状態は悪くなかったはずなのに。数値を見ながら鳥肌が立ち、急いで処置をしたのですが、毎日一緒に何時間も付き合ってる人はすごいと思った。
医者なんてほんのわずかな時間しか付き合っていなくて、それでその人のことを分かっているようなつもりになっている。自分は何をやってるんだと。
いろいろな職種の人の、いろいろな目で見ることが大切
そのことがあって私は当時の理事長である父に言ったのです。「医者だけじゃダメだ。一つの病棟に全部の職種のスタッフを置いてほしい」。
医者、看護師、介護職(介護福祉士)、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、ソーシャルワーカー、レクレーションワーカー、管理栄養士・・・そういった人たちが最低でも各病棟に一人ずついるという体制をつくりました。
つまり、いろんな職種の人がいろんな目で見ていくことが大事だと思ったのです。
このやり方がのちに国の中央にも届き、経団連が視察に来ることにもつながっていきました。当時100床にも満たない病院でそういった体制のところはほぼなかった。それだけのスタッフが見ていると、誰か一人はその患者さんとウマが合う人がいるものです。
たとえば、この患者さんのことはあの栄養士がいちばんよく知ってる。それも専門的な知識も持っている。それがいいなと思いました。自分一人がみた情報ではなく、みんなからの情報で多面的にその人のことを知るほうが、患者さんが求めているものに近づけるし、自分たちの仕事のためにもなるのです。