「当社から販売した物件には保証が付いていて」
前回の続きです。
なるほどね。九門の説明で、オレの懸念はすべて払拭された。だめ押しになったのは、最後に橘高が付け加えた言葉だった。
「それに、当社から販売した物件には保証が付いていて、もし満足されなかった場合は、2年以内であれば購入価格そのままで買い戻しさせていただいているんです」
それなら、リスクはほとんどない。噓みたいに、いい話に思えた。それでも、いつものオレだったら、話を聞いた当日に、慌てて契約書にサインするような真似はしなかっただろう。
これまでだって、リスキーな選択肢は取らずに、40年間、慎重に生きてきた。大学を選ぶときも、就職先を選ぶときも、ネームバリューを優先した。有名大学の学歴や、有名企業の職歴は、いざなにか冒険をしたくなったときの担保になる。といっても、40歳になるまで生きてきて、これまで、オレは思いきった冒険に出ることはなかった。
そうはできない事情があったのだ。もちろん、オレが慎重な性格であることも否めない。社会人になってから出会って、10年間付き合った綾乃とは、3年前に別れた。決して、嫌いだったわけじゃない。でも、結婚となると、綾乃のいろいろな欠点が目についた。喧嘩をするたびに、この先一生こんな生活を送りたくはないと思った。だから、別れた。後悔はしていない。
その後は、長く付き合った相手はいない。婚活パーティーやお見合いにも行ってみたが、結婚してもいいと思える相手はいなかった。一人でいることは好きだし、平穏な生活を愛している。
けれど、どこかで、若いうちに、思いきった決断をしておけばよかったという気がしている。会社を辞めて独立起業したいと考えたこともある。外国で暮らしたいと考えたこともある。子どもができて結婚することになったら、それはそれでよかったのかもしれないという気もしている。
「これでマンション・オーナーですね!」
だが、実際はなにも起きなかった。オレは周到にリスクを回避しながら生きてきたのだ。これから先も、そうやって生きていっていいのだろうか。しばらく考えてから、オレはペンを手に取り、契約書にサインをした。
「おめでとうございます! 須藤さんも、これでマンション・オーナーですね!」
九門が目を細めて満面の笑みを浮かべた。橘高も「おめでとうございます!」と唱和した。オレも久しぶりに心が浮き立つのを感じていた。高級マンション、セレブリティーラグジュリーのワンルームを、3000万円で買ってやったのだ。
ざまあみろという感じだ。誰がいつどこでザマを見るのかは知らないが、とにかくザマを見ろだ。
オレだって、やるときはやるのだ。即断即決だ。もうだいぶ昔のことになる「優柔不断」だと罵ってきた綾乃に、今のオレの雄姿を見せてやりたい。