前回は、医療・介護従事者のやりがいの原点となる、「人の役に立とう」という思いを取り上げました。今回は、著者の回想を交えながら、仕事の目的を見失った場合の対処法を見ていきます。

若い人の「やりたいことが分からない」は当たり前

前回の続きです。

 

とはいえ、最初から「~のために」という強い想いと信念が確立されていて、あなた自身の将来像であるなりたいものが見えてなくてもいい。それよりも大事なことは、なぜ自分がこの世界で生きてみたいと感じたのか。その「なぜ」だと思うのです。

 

私も最初から医者を目指してきたわけではなく、できることなら新聞記者だとか文章を書いて何かを伝える仕事がしたかった。そうしたこともあってか学生のときは仕事最優先の父にかなり反発していました。高校を卒業するまでは将来についてあまり父と話し合うこともありませんでした。

 

そんな自分ですからみんなと違っているということも自覚しています。大多数の医者と違って、もともとは文系だった人間が医療・介護の世界で仕事をするのですから考えること、思いつくことも違ってくる。

 

どんな医者になるんだというイメージだってなかなか持てなかった。でも、自分では「時間がかかって医者になった」ということが良かったのかなと思ったりします。ショートカットしていない分、自分で見つけた医者の原点がすごく大事に思えるからです。

 

医学部の学生時代、医療や介護の光が当たらない人たちを目の当たりにして「こういう人たちを助けたい」と強く感じられたのも、最初から「こんな医者になるんだ」という想いを描いていなかったからです。そういう意味で、若い人が「やりたいことが分からない」というのも私はごく当たり前のことじゃないかと思うのです。

仕事を志すきっかけとなった経験を思い出してみる

本当にやりたいことなんて頭の中で考えても出てくるものではない。いろんな出会いの中で生まれてくるものじゃないでしょうか。

 

それが私の場合は、学生時代の夏休みに保健師さんのお手伝いをしながら瀬戸内海の島々を巡る公衆衛生の実習の中にあった。ある島では、いざり歩きをする老婦人の姿に衝撃を受けました。

 

肝硬変で腹水が溜まり、手も曲がっている。普通はそうなる前に医療機関にかかるものですが、その当時、島では家族がそういう姿を他人に知られることを嫌がり、医者にも診せていなかったのです。

 

保健師さんだけは家の中に入ることができ、そこでようやく医師を四国本土から船で呼び寄せ医療を受けることができる。自分の知らないところで大変な仕事があるんだと思いました。何か突き動かされるものがあったという感じでしょうか。

 

そして漠然とではあるものの、今の表現で言えば地域医療や公衆衛生に関わるような仕事ができる医者になりたいと思ったのです。

 

べつに私が何か特別変わった経験をしてきたということではありません。みなさんにも、きっと少なからず「自分にとっての大切な経験」があるはず。少し忘れかけていた人には思い出してほしいし、自分がなぜこの世界で仕事をしているのか分からなくなっている人には、そこをもう一度取り戻してほしいのです。

医療・介護に携わる君たちへ

医療・介護に携わる君たちへ

斉藤 正身

幻冬舎メディアコンサルティング

悩める医療・介護従事者たちへ、スタッフ900人超を抱える医療・社会福祉法人の理事長が送る「心のモヤモヤ」を吹き飛ばすメッセージ! 日々、頑張っているつもりだけどなぜか満たされない、このままでいいのかと不安になる…

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