思惑に関係なく求められる「手仕舞い」
トレードは、仕掛けと手仕舞いで完結する。今風に表現すると、エントリーとイグジットだ。
1ラウンドを終了させる手仕舞いを意識して仕掛けろ、と述べた。下山まできっちりと計画してから山に入らないと、命の危険があると。この手仕舞いについて、あらためて「瞬発力」をテーマに、リアルな想像をしてみよう。
仕掛けたあと、思惑通りの動きでも、思惑に反する動きでも、自らの決断で手仕舞いすることが求められる。何の制約もない、自由な立場だからである。この点は個人投資家の最大の武器と説明したが、裏を返せば最大の悩みでもある。ねばるべき場面で撤退したら後悔する、しかし手仕舞う機を逸したら、やはり後悔する・・・。
多くの個人投資家が、「損切りが難しい」と言う。本当だろうか?
私は、利食い手仕舞いのほうが難しいと思う。以下に私の説を披露するので、疑いながら読んでほしい。
ただ切るだけの「損切り」は結論が明確
損切りは、「ダメだ」と判断したときに行うこと。ダメなのだから、そのポジションを維持する理由はない。ただ切るだけである。
結論は明確であり、行動指針にもブレる余地は一切ない。カンタンなのである。ただし、感情がジャマをする。「いま切ると負けが確定するんだぞ」という声が、どこからとなく聞こえてくる。でも、自分が言っているだけだから、試し玉をはじめとする工夫、計画的なトレードの遂行で解決するのだ。
逆に、利食い手仕舞いでは、大いに悩む。いや、生じてはいけない「迷い」で動けなくなる。わかりやすく、買い戦略で説明しよう。上がると思って買ったら、見事に上昇した。一定の値幅が取れているから、いつ売っても利益という状態にある。
しかし、上昇して人気が盛り上がってきたのだから、ちょっとモタついたあと驚くような上伸をみせるかもしれないし、材料があと押ししてストップ高を演じるかもしれない。いずれにしても、やや高値圏に到達しているから、1日か2日の差で利益が大幅に増える可能性を秘めている。
さて、こんな状況のほうが、「これは失敗だ。ダメ玉と化した」との状態よりも離脱がやさしいと感じるだろうか。
利が乗っているポジションの手仕舞いは、いわば“最高に仲良しの恋人とクリスマス前に別れる”ようなものだ。
自分の優秀さを証明してくれているポジション、ワクワク感が満載の素晴らしいポジションなのに、自ら別れを告げる行為には、大きな抵抗を感じるのではないか。
トレードの本質を考えるために深い話をしたが、こういったことをじっくりと考えることで、実践者としての“幅”が生まれると思う。だが、実践においては、利食いと損切りのどちらが難しいかなど問題ではない。いずれにしても、必ず手仕舞うのである。自分の意思、自分独自の決断によって。