驚くほど優秀な一人息子「この子は特別だ」
65歳になった加藤健一さん(仮名)は、現実を受け止められず茫然としていました。頼りにしていた息子から、「援助はできない」と言われたからです。
加藤さん夫婦のもとに長男・孝さんが生まれたのは、加藤さんが35歳の時。育てていくうちに明らかになってきたのが、息子の賢さです。成長に伴い、その賢さはより一層際立つように。成績は常に学年トップで「神童だ」と話す人もいたほどでした。
「俺たち夫婦は平凡なのに、この子は特別だ」
高校を卒業して以降、地方の小さな会社で働く加藤さんは、自分の人生に満足していたわけではありませんでした。そして、優秀な息子に対して「自分のような平凡な人生ではなく、一流の勝ち組になってほしい」そう思うようになったのです。
加藤さん自身の当時の年収は500万円ほど。妻はパートで年収100万円程度と家計に余裕があったわけではありませんでしたが、なんとか資金を工面し、東京の有名私立高校を受験させたのです。
見事、私立高校の難関試験を突破した息子。小さな町においては確かに快挙でした。
息子の進学、就職に満足するも……
幸いにも、東京在住の加藤さんの両親が孫を預かることを歓迎してくれたため、息子は地元を離れ、高校からは東京に住むことになりました。
高校では、全国から優秀な学生が集まるとあって、息子は壁にぶつかっていたようです。それは成績表を見ても明らかでした。しかし、加藤さんは勉強が追い付かないのであれば塾や家庭教師を使うようにと、より一層の勉強を強いたのでした。
息子を心配する妻にも、学歴がよければ勝ち組になれるのだから弱気になってはいけない。あそこで頑張るしかないんだと、強く伝えた加藤さん。
その後、息子は有名私立大学へ進学。加藤さんは相変わらず自分は地元に残って働いていましたが、勤め先の経営状態が芳しくなく、昇給等はありません。夫婦の生活費と息子の教育費、仕送りで家計は厳しいものでした。
その頃には、両親から「ずっと預かり続けるのは難しい」と言われ、息子が一人暮らしをせざるを得なかったという事情もありました。そのため、息子は自らのアルバイトと月10万円の貸与型奨学金で大学生活を乗り切ったのでした。
その後、息子は有名な外資系コンサル会社に就職し、加藤さんはその成長に満足。「これで俺の老後も安泰だ」と考えていました。
しかし、想定外のことが次々起こったのです。