保守的な考えを持つ役員が多い「地場産業」
確かに、生産方式を180度変えるということは、とてつもないエネルギーを必要とします。
そうでなくても、なにかを変えるということは、従業員の行動が変わる、取引先とのやり取りも変わるなど、業務フローのあらゆる部分に影響します。つまり、相当の覚悟を持って臨まなければなりません。
決して簡単なことではありませんが、地場産業として生き残りたいのならば、避けて通ることはできない道です。私の場合、社長就任から3年間は鬼になると決めて改革に取り組みました。
私のほかにも、こうした危機感を持ち、現実から目をそらすことなく、やらなければならないことを実践している地場産業経営者はいます。
しかし、多くの地場産業はこれまで、代理店などの業者と馴れ合いの関係を続け、経営者を含め役員たちが保守的な考えに陥っています。経営者ひとりが改革に取り組もうと思っても、腰の重い重役や従業員、取引先など周囲を動かすことは簡単ではありません。
私の会社を例に挙げると、私が社長に就任し、会社の体質を抜本的に変えようと動き始めた時、社内も社外も不穏な空気に包まれていました。
社内では、朝出社しても会議に出席しても、誰も私の目を見て話そうとしません。私が話しかけても部下たちはフッと横を向いたり下を見たりしてしまっていました。
それも無理からぬところがあります。それまで私の会社で社長を務めた人は皆、町の重鎮であり、名誉職的な位置づけでした。経営は番頭さんに任せていて、カリスマ経営者というよりは、シンボル的な人がほとんどでした。
社員たちも工場は工場だけ、営業は営業だけ、デザインはデザインだけで固まって、横のつながりはほぼありません。それぞれが専門職のプライドを持って、自分たちの常識としきたりで働くという雰囲気です。経営が右肩上がりの高度成長期には、そういうやり方でも問題なく会社は成長していたのだと思います。
思いついたら「すぐにやる」ことが重要
ところが私が社長に就任した2000年は、バブルの崩壊から約10年たち、会社の赤字体質もいよいよ深刻化していました。成長期のシステムややり方のままではいずれ飛驒産業も経営破綻してしまう。再生を目指して経営改革をするなら今が最後のチャンス―そういう時期だったのです。
その覚悟を持って臨んだので、私は最初からガンガン社員たちを叱り飛ばしました。毎朝社長室からは私の怒鳴り声が聞こえる。会議を開けば机を叩きながら私が持論を展開する。とにかくそれまでのやり方を180度変えて、決断力と即決力、そして正しい方向をしっかり見極める経営センスが必要だと訴えました。
とにかく思いついたことはすぐにやる。明日からではなく今からやるんだ。私はそう檄を飛ばしました。
それまで私の会社のある岐阜県高山の人々は、なにかやるにしても「高山祭を終えたらやろう」とか「お盆を過ぎたらやろう」とのんびりと構えている人が多かったのです。けれどそんなことをやっていたら、チャンスを逃してしまいます。
会社の体質を変えて生き残りを図るためには、いくつかの抜本的な改革が必要です。生産工程の見直しはもちろん大事なのですが、やるべきことはほかにもたくさんあるのです。