掟1「すべては覚悟から始まる」
正道は自問自答を繰り返した。
「(僕が継ぐべきだろうか?そもそも僕なんかに社長が務まるだろうか?)」
その心配を取り除くために、まずすべきことは情報収集であった。
毎日が終電の忙しい日々の中、鋳物業界についての情報収集を繰り返した。以前青島が話していた内容も改めて理解し、大鉄鋳造よりも大きな会社が様々な取り組みにチャレンジしていることも知った。相対的に技術革新に遅れを取る中小企業は、これまで以上に自社の強みとポジションを明確にし、顧客とのつながりを強固にしていく必要があると理解できた。
収集した情報を整理していると、水戸から渡されたテキストが目に飛び込んできた。自分の本気が確認できたときに目を通そうと思っていたのであるが、自然と手が伸び、資料をめくっていた。
・掟1:すべては覚悟から始まる
・掟2:会社の現状と世の中の流れを知る
・掟3:外の世界で鍛える
資料はそこで終わっていたが、目次を見るとまだ先がありそうであった。
「(確か、『外の世界で鍛える』っていうのは、他社のノウハウを吸収することだったな。水戸さんがそう言っていたけど……)」
書籍や雑誌等での情報収集や青島たちからのヒアリングをもとに、鋳物業や他の製造業について知ることは、そう難しくはなかった。このままの仕事の仕方でも、外の世界で鍛えることになるだろうと考えることもできたが、同時に、水戸から言われた〝安全な場所に身を置いて〟という言葉が頭をよぎった。
正道の自問自答はその後も続いた。「父の様子を見に来た」という建前のもと、正道は何度も大鉄鋳造を訪れた。父親からいろいろな話を聞き出すと同時に、五十嵐や青島をはじめとする従業員たちとの雑談の中から、社長としての父親の人となり、それに、会社がどんな状況にあると感じているのかを聞き出した。
「将来、父さんの会社を手伝いたいと思う」
ある晩、正道は母親に夕飯を食べていくよう誘われた。父親の健康のためもあって、野菜や煮物中心のさっぱりとした食事がテーブルに並び、それを口にしながら正道は切り出した。
「将来、父さんの会社を手伝いたいと思う」
母親は、驚いたと同時に、嬉しそうな笑みで、慌てて席を立ち、冷蔵庫の中をあさり出した。
「ご馳走があればいいんだけどね。何も買い物してないから、今からお寿司でも取ろうか?」
「ありがとう。でもいいや、いいんだ。家の飯食べるのは久しぶりだし、それに明日も早いからこれ食べたら帰るよ」
父親は「そうか」と一言だけ口にして、後は黙って味噌汁をすすった。
数日後、正道は上司に退職の意志を伝えた。強い慰留の意を示されたが、後任の選定と引き継ぎの時間も踏まえ、三か月後に会社を辞することになった。
その間、父親に自分の意志を再度伝えるとともに、数年は外で鍛えさせてほしいと話をした。母親は、社長や五十嵐など周りの人間から徐々に教わればいいと反対し、正二は正道にその意を説明するよう求めた。
「なるほど、そういうものかもしれんな。ところで、お前が先日話していたコンサルタントに会ってみるっていうのはどうだ?俺も直接話をして聞いてみたいこともあるしな」
正道は二か月ぶりに水戸に連絡を取り、「ちょうどセミナーがあるから、お父様と一緒に参加してみてはどうか」との返答を得た。
「お前にとって、『正』しい『道』なのか?」
セミナー当日。前回と同様、正道は一番前の席に座った。前回との違いは、隣に父親がいることだ。
今回のセミナーは水戸のレクチャーに加え、事例ということで、実際に事業承継を行った企業の先代社長と現社長の話を聞くという内容であった。隣にいる父親は、はじめ腕組みをしながら聞いていたが、次第に手元にある用紙にメモをするようになった。
セミナーが終わってから、正道は父親を水戸に紹介した。
「よろしければ、後ほど少しお話ししましょうか?」
水戸がそう言ってくれたので、正道は正二とともに水戸から指定された喫茶店で待つことにした。少しそわそわする正道に、どっぷり構える正二。対照的な姿だった。
「お前、本当にそれでいいのか?さっきの事例の企業のようにうまくいくとは限らんぞ」
「ちゃんと決心して、今日を迎えたつもりだよ」
「俺も勉強していないわけじゃなくてな。同じ川口の仲間の話なんだが、後継者がいなくて、大手に買収される形で生き残りを図ったところもあるようだ。そこのオヤジが言うに、社内にふさわしい人間がいなかったらしい。M&A(企業の合併・買収)なら、会社がそんな状況でも維持できるんだとさ」
「そうだね。そういう方法もあるね」
「いろんな選択肢がある。お前は自分が選択しようとしていることに自信があるのか?それはお前にとって、『正』しい『道』なのか?」
そんな質問をこの場でされるとは思わなかった。どの回答が最適かを考えるよりも、今の素直な気持ちが口を動かした。
「自信はないけどね……」
それが本音だ。経営の経験のない自分が「自信がある」と口にするのはおこがましい。どんなに知識を詰め込んだとしても、それは社長業の経験にはならない。
「わかった。それでいい」
その言葉と同時に、水戸が喫茶店の入口に現れた。
「お前、その会社で何年か鍛えられてこい」
その後、大鉄鋳造の状況や父親の性格、正道のこれまでの経歴などを話した。父親の口数は少なく、水戸の話に聞き入っているのか、時折うなずいていた。水戸は先ほどのセミナーでは配布されなかった新たな資料を取り出し、テーブルの上に広げた。
「不完全なものをお渡ししたままで、説明していませんでしたね。お二人の意志が統一されたら、今後しばらくは、このような流れをたどっていかれるのがよいでしょう」
そこには次のように書かれており、水戸が簡単に説明した。
<継ぐことを決める>
・掟1:すべては覚悟から始まる
・掟2:会社の現状と世の中の流れを知る
・掟3:外の世界で鍛える
・掟4:数字に強くなる
・掟5:同じ境遇にある人と出会う
「うちの場合も、まずは正道に外部のノウハウを吸収してもらう必要があるわけですな?」
「ええ、先ほどのお話から判断するにそれがよいですね」
「正道、いい会社がある。お前、その会社で何年か鍛えられてこい」
急な展開だった。さすが直感型のカリスマ社長である。いきなりの展開に正道は戸惑ったが、もとより想定していたステップだ。ここでノーと言えるはずもなかった。
「わかったよ」
「水戸さん。質問ですが、期限を設けたほうがいいですよね」
「そうですね。会社の状況や正道さんの年齢を考えると、三、四年ぐらいがひとつの目安でしょうね」
「となると、二十九ぐらいまで外で鍛えて、その後入社ってことだな。正道、いいな?」
「はい、わかりました」
自然と自分の言葉遣いが変わったことに、自分のことにもかかわらず、内心驚いた。父親を社長として意識したのかもしれない。