職人たちの輪にうまく入れない…
正道が父親の口添えで川崎鋳造に入社して、三か月が経つ。
仕事服はスーツから作業着に変わった。ここでは、自分のことを先輩や上司と呼ぶ者は誰一人いない。少し歳のいった中途採用の新人、ただそれだけである。日々砂にまみれて鋳物作りを一から学んでいる。
「この砂と鉄と夏の匂い、ずっと前から記憶にあったようだ」
正道は自らの運命を確認するように、大きな工場内をぐるっと見渡した。
川崎鋳造は、神奈川県の川崎市にある、年商五十億円を超える鉄系鋳造業の企業で、大鉄鋳造の取引先でもあった。正二と川崎鋳造の会長および社長は旧知の仲で、創業間もない頃からのつきあいでもある。川崎鋳造のほうが十年ほど早く創業しており、先代の長男が跡を継いで十年以上が経つ。現社長が代表取締役に就任する少し前から、大手製造業との取引を拡大させ、工場敷地も大きくし、今では鋳物業界で全国でも名の知れた企業となっている。現社長の営業力がその原動力となったことは周知の事実であるが、大手企業との取引に耐えうるよう生産体制の抜本的見直しを実現させた手腕も、知る人ぞ知る事実であった。
正二はそのことを理解し、現社長を訪問して「息子を預かって鍛えてほしい」と頼み込んだのだ。川崎鋳造としても、パートナー企業である大鉄鋳造の存続問題は見過ごせない事項であり、現社長は正道の入社を快諾してくれた。
ところが……ノウハウの習得は簡単には進まない。教えてもらって当然だという気持ちが、正道の態度に出ていたのかもしれない。期待していたのは、手取り足取りみっちりノウハウを叩き込まれる日々であったが、それ以前に職人たちの輪にうまく入れないでいた。根が人見知りであるし、自分は特別なミッションを持って入社しているというプライドが消えていなかったのかもしれない。
順調な滑り出しとは到底言えない川崎鋳造での新生活であったが、平日も週末も、正道は忙しくしていた。
土曜日は、同業他社の経営指標の分析を行い、時間が許せば、夕方に実家に戻って父親と母親から会社の数値に関していろいろとヒアリングし、二人の話にじっくりと耳を傾けた。
日曜日はというと、着る機会がめっきり減ったスーツに着替えて、朝からオフィスビルの中にいた。水戸の会社が主催する後継者のための塾「事業承継実践塾」に出席していたのである。
「とにかく、相手を理解しようとしたんだよ」
塾は夕方に終わり、その後は毎回、他の参加者と食事に行くことになった。次の日が月曜日だということも忘れて解散がかなり遅くなる日もあった。正道は、塾に参加するメンバーの一人で、父親が経営する建設業の会社を継ぐ予定の藤原雅治と席を隣にした。藤原は現在三十六歳。五年前に勤めていた会社を辞めて、事業承継を段階的に進めていくために父親の会社に入社したという。
「俺の場合は小さい頃から跡を継げと言われて育ったので、父親の会社を継ぐこと自体は疑問にも思っていなかったんだよ。ところがね……」
今の正道にとって、他の人がどんな悩みをどう解決したのかを聞くことは、先の見えない不安や心配を軽くする唯一の方法であった。藤原のグラスにビールを注ぎながら、正道は話の先を促した。
「入社から一年で部長になってさ。さっそく社内の改善に着手しようとしたんだけど、周りが全然動いてくれなくてね。上司である俺の指示にもかかわらず、興味すら持ってくれないって感じだったかな……、それが三年前の話。これではいかんと思っていろいろ試してみたよ。まあ、俺の場合、試行錯誤しながらたどり着いたのは、結局シンプルなことだったんだけどね」
「どんなことですか?藤原さん、是非聞かせてください!」
「あはは、別に大したことじゃないよ。まずは、自分を受け入れてもらうように努力しただけさ」
「受け入れてもらう努力って、どんなことを?」
正道の質問は細部にわたった。
「自分から挨拶したり、相手の話をじっくり聞いたり、なぜ相手がそう考え、行動するのかその背景を探ってみたり……とにかく、相手を理解しようとしたんだよ」
「(みんな悩んで苦労しているんだな、ここに来るとそれがよくわかる)」
翌日、正道は誰よりも早く出勤し、大きな声で先輩たちに挨拶をした。そして周りがどんな会話をしているのかをしっかりと聞き取り、先輩たちの動きを目で追い、雑用を自ら進んで申し出て、キビキビ動いた。五感をフルに活用して仕事を覚えようとした。
正道の、悩み、学び、そして行動する日々が続いた。