人・ビジネスのコミュニティを活性化することが目的
以下の図表1は、スマートコミュニティのみならず、地域活性化などの案件を取り扱う場合に、筆者らが原則と考えているものであり、福岡県北九州市の八幡東田グリーンビレッジ構想(※1)の際にも提示してきた。
[図表1]スマートコミュニティへのアプローチの原則
(※1)例えば、北九州市ウェブサイト、http://www.city.kitakyushu.lg.jp/kankyou/file_0359.htmlを参照されたい。
まず、第一に都市・地域などを構成するストックとフロー全体を視野に入れることである。同図では、フローとして、人流、物流、情報流、金流、エネルギー流、廃棄物流と表記している。
「これまで」は、お金や人・ビジネスが外に出ていくだけで、ものやエネルギーを消費し、廃棄物を発生させ、経済的な面でも環境負荷の面でもマイナス面ばかりであった。その流れを逆にする発想が「これから」は求められるであろう。
具体的には、地域内にコミュニティビジネスを創造し、外部にものやエネルギーを供給できる仕組みを構築する。これによって、人・ビジネスがコミュニティを活性化し、その結果として地域のお金を生み出す。
また、地域における既存産業や地域特性を最大限に生かすことがその大前提となろう。スマートコミュニティの構築は、こうしたコンセプトを具現化するプロセスであるといえる。
需要側に関するアプローチが極めて少ないことが問題
以下の図表2の上段には、あるビジネス誌に掲載されていたスマートシティに関する特集記事から抜粋した要点を示した。
[図表2]スマートコミュニティへのアプローチで欠けている視点
同誌では、インフラ輸出事業の可能性として注目されている海外でのスマートシティ事業を例に、日系企業の取り組み姿勢に対して問題提起した内容となっている。そこでは、スマートシティはあくまでも手段に過ぎないという前提で「3つの落とし穴」を指摘している。
●リスク回避を優先することにより、プロジェクトへの乗り遅れが目立つということである。これは、新しい仕組みを構築しようという動きに対する我が国の企業の「様子見」の姿勢から起因するものであり、筆者も同感である。とりわけ、自社のソリューションの売り先のひとつとしてスマートシティプロジェクトをみている場合には、単なる調達先のひとつとして終わってしまうのが関の山であろう。
●電力に固執し過ぎて、視野が狭まっていることを指摘している。この点に関しては、冒頭から述べてきているように、都市単位で議論するからにはインフラ全体を見渡すべきであろう。
●スマートシティプロジェクトにおけるノウハウの蓄積の重要性を、先行投資をしてノウハウを蓄積しようと活動を活発化している外資系企業と、自社のソリューションの「単品売り」だけを目論む日系企業の姿勢の違いを比較しながら述べている。
東日本大震災以降、国内でもさまざまなプロジェクトが立ち上がっている。各々のプロジェクトに参画している各社にも共通していえる内容である。
図表2の下段には、上記の「3つの落とし穴」に加えて、主に国内のプロジェクトをイメージしつつ、筆者が感じている問題点を列挙している。
●「市民不在」であるということである。「スマートシティ/タウン」と呼ぶにせよ、「スマートコミュニティ」と呼ぶにせよ、そこに、立地する企業や市民などが存在するはずである。ところが、大半のプロジェクトでは、インフラ側のハード・システム寄りの議論に終始している感が否めず、「誰のためのスマートコミュニティなのか?」ということに対する答えを持ち合わせていない状態で進んでいる。
●行政や地域ニーズと民間ニーズに大きなギャップが存在することである。この点に関しては、次項で詳述するが、これを埋める機能を持ち得ていないことも問題のひとつである。
●議論の内容が「供給側」に偏っていることである。例えば、「原発を再稼働するか否か」という二者択一の議論の延長線上にスマートコミュニティが位置付けられており、「再生可能エネルギーを大量に導入すれば、スマートコミュニティ」という短絡的な発想が主流になっていることなどが挙げられる。
エネルギーの問題ひとつをとっても、原発云々ではなく需要側で工夫できる話はいろいろあるだろうし、さらには、それ以前に、その地域の存在意義や価値を中心に物事を論じることが置き去りにされてしまっている。筆者は、「供給側」の対比として「需要側」という表現を用いるが、「需要側」に関するアプローチが極めて少ないことが問題である。