雇用率、R&Dの増加など現実的な目標に絞った戦略
欧州2020(Europe2020)は、2010年から2020年までの間にヨーロッパ経済を競争力のある地域にするための長期戦略である。2000年から2010年までの期間にはリスボン戦略という長期戦略があった。多くの野心的な目標を掲げていたが、達成が困難なことが明らかになり、目標は雇用率やR&Dの増加など達成しやすいものに絞られた。
2000年代後半には金融危機や債務危機が発生してヨーロッパ経済は大きな打撃を受け、長期戦略の必要性が再認識されて欧州2020の取り組みが始まった。2014年からはEUの中期予算を欧州2020に合わせる形で再編成し、欧州2020の実現に向けた態勢を整えている。欧州2020では、賢い成長(smart growth)、持続可能な成長(sustainable growth)、包括的な成長(inclusive growth)という3つの成長を実現させるために7つの主要分野を設けている。
教育、研究・イノベーションなどに取り組む「賢い成長」
賢い成長では、教育、研究・イノベーション、社会のデジタル化に取り組むことで競争力のある経済を作り出そうとしている。ヨーロッパは先進国地域であり、アジアやアフリカ地域のように賃金の低さを武器に競争することはできないため、先進的な製品を作り出すことで競争に打ち勝つ必要がある。EU予算では1a項目に相当し、ヨーロッパのデジタル化、イノベーションの進展、若年層支援の3つの主要分野が含まれている。
ヨーロッパのデジタル化では、人々が高速インターネットにアクセスでき、消費者だけでなく企業間でもオンライン取引ができるような規格の統一や人材の育成、デジタル政府サービス(eGovernment)の実現を目指している。高速インターネットサービスでは、2013年までに全ての人がブロードバンドにアクセスできるように、2020年までに全ての世帯で30Mbps以上、そのうち50%以上が更に高速な100Mbps以上の通信速度を実現できるようにするという具体的な指標もある。デジタル化がどの程度まで進んでいるのかを示す、経済・社会デジタル指標(TheDigitalEconomyandSocietyIndex)が開発されており、デンマーク、オランダ、スウェーデン、フィンランドなどが高く、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、イタリアなどが低い。スコアの低い加盟国では、インターネットへの接続、技術者、デジタル公共サービスの面で遅れが見られる。
イノベーションの進展では、気候変動、エネルギーや資源の効率的利用、健康などの分野でのR&Dの増加を促し、基礎研究から製品化までのつながりを強化することを目指している。革新的な製品を公共調達で購入するための特別予算の編成、公共部門のイノベーションのための研究プログラム、EU域内レベルでの投資家と企業のマッチングなど34の重点分野を設定している。企業の競争力強化だけでなく、2020年までに健康寿命を2年延ばすことを目標に病気の早期発見や健康管理などの分野でのイノベーションも促す。Horizon2020の資金も活用される。
若年層支援では、留学や就職支援、ヨーロッパの大学の国際評価の向上、教育水準の向上、機会均等などを目指し、学校教育(study)、課外学習(learn)、職業訓練(train)、就職(work)の面で年間40万人の学生を支援している。大学生への奨学金、エラスムスプラスによる留学支援、国際ボランティア、大学院生や研究員の支援、海外での就職支援や情報提供などを行っている。2014年12月にこれらの目標を達成して欧州2020としてのプロジェクトは終了した。
新しい環境技術の開発などを目指す「持続可能な成長」
持続可能な成長では、競争力の高い低炭素社会の実現、環境と生物多様性の保護、新しい環境技術の開発、効率的なスマート電力網の導入、EUレベルでの企業ネットワークの形成、中小企業などの経営環境の改善、消費者への情報提供など環境の保護と経済競争力との両立を図ろうとしている。持続可能な成長はEU予算項目でも大きな割合を占めており、資源の効率的利用、国際化に対応した産業政策の2つの主要分野が含まれる。
資源の効率的利用では、CO2排出量の削減、エネルギーの安全保障、資源消費性向の低下などを進めて、エネルギー効率の向上を目指している。従来は、環境に配慮することはコスト増加につながると考えられていた。例えば工場からのCO2の排出量を小さくするためには、CO2の収集装置を設置しなければならず、その分だけコスト増になるという考えである。しかし、そもそも資源をあまり使わないような技術を開発すれば、資源やエネルギーの購入費用を削減でき、資源やエネルギーの保管や輸送コストも減らすことができるため、全体のコストを減らすことができる。新しい技術は生産コストの引き下げになるだけでなく、技術自体を輸出することもできるようになり、環境に配慮した産業政策は経済の競争力を強化することにつながる。EUは、資源の利用率を1%下げると年間230億ユーロの節約につながり、2020年までに15万人の雇用を生み出すとしている。
低炭素社会の実現やエネルギー消費については2050年までのロードマップを作成しており、2050年までには温室効果ガスを1990年比で80-95%削減する目標を掲げている。その他にも、安全な水の供給や循環型経済の実現、森林保全や大気汚染の改善など幅広い活動を含んでいる。
国際化に対応した産業政策では、EU域外からのエネルギーの輸入を減らすことなどを目的に、EUと加盟国で協力して、特に中小企業に対する支援を行っている。環境に配慮した新技術を使えるのが大企業だけでは、EU域内の環境の改善や競争力向上には役立たない。一方、中小企業は研究開発や新技術を導入するための資金、資源や原材料の入手、熟練労働者の獲得などの面でのノウハウに乏しい。そこで、EUと加盟国が産業政策を進めていく必要がある。
EUは自動車の排ガス規制や工業製品に含まれる化学物質の規制など様々な環境規制を打ち出している。これらの規制は、より安全で快適な社会を作るだけでなく、環境に配慮しない低価格品を排除することにもつながり、見方によってはEU域内企業の保護にもつながる。途上国からの低価格品を制限することには批判も付きまとうが、消費者保護や環境保護を理由に制限することに対しては批判がしづらいからである。
経済成長の恩恵が行き渡ることを目指す「包括的な成長」
包括的な成長では、人々が新しい技術を習得しやすくして、よりよい職をより容易に得られるようにし、労働市場や社会保障制度の近代化を促すことで、経済成長の恩恵が全ての人々に行き渡るようにすることを目指している。EU予算では、1bの項目に相当し、新しい技術と雇用の獲得、貧困対策の2つの主要分野を含んでいる。
新しい技術と雇用の獲得では、人々が新しい技術を学ぶ機会を作り出しキャリアを積めるようにサポートするとともに、労働市場改革によって雇用率の上昇、失業率の低下、労働生産性の向上などを目指している。
企業が活動をするためには人が必要であるが、賃金は企業にとっては毎月一定額を支払わなければならない固定費に相当する。好況期には人を増やし不況期には人を減らすことができればコストの最適化を図ることができるが、ヨーロッパでは労働者の権利が強く保護されており、労働組合の力が強い加盟国が多いため、企業はいったん雇用すると不況期に賃金を引き下げたり解雇したりすることが難しい。その結果、企業はできるだけ正社員を雇用しないようにし、短期の期間契約やアルバイトなどの形で人を手当てしようとする。労働市場改革により企業の解雇規制を緩やかにすると企業は正社員を雇おうとするため、結果として雇用を増やすことにつながる。雇用と解雇が容易な労働市場を柔軟性のある労働市場という。
EUでは労働市場改革ではフレクシキュリティ(flexicurity)という考え方を重視している。フレクシキュリティとは、柔軟性を意味するflexibilityと安全性を意味するsecurityからなる造語であり、労働市場の柔軟性を確保しつつ労働者がより職を得やすくするような支援を行うことを指している。EUは、柔軟性のある労働契約、包括的な生涯学習、実効性の高い労働市場政策、近代化された社会保障システムをフレクシキュリティの4要素としている。労働市場の柔軟性が高まれば、企業から解雇される人が出てくる。解雇後に失業者とならないように次の職を見つけやすくするための施策が安全性である。
EUは2008年よりNew Skills for New Jobs政策を始めており、新しい技術を学ぶ機会や求人と求職のマッチングなどを進めている。
貧困対策では、人々が生きていくための基本的な権利を保障し、尊厳を持って社会の一員として加わることができるようにすることを目指している。EUには貧困リスクや社会的疎外のリスクがある人々が人口の24%に相当するとされており、1億2000万人以上に上る※1。この中には働いているにもかかわらず十分な収入を得ることができないワーキングプアも含まれており、全労働者の8%に相当する。EU人口の9%は洗濯機、自動車、電話、暖房などが十分に使えず、人口の10%に相当する人々は世帯の中で誰も仕事についていない。例えば、EUに1000-1200万人住んでいると考えられているロマ(Roma)人は社会から差別されており、ロマ人の3分の2が失業状態にあり中等教育の卒業者は15%しかいない。障がい者も十分な収入がなく貧困や社会的疎外に直面しやすい。移民にも言語や習慣が壁となって社会に溶け込めない人々が多く、彼らの子供も十分な教育が得られないと貧困や社会的疎外が世代を超えて連鎖してしまう※2。
※1 貧困の恐れがある人々の推移については,Maria Vaalavuo (2015), “Poverty Dynamics in Europe: From What to Why,” DG EMPL Working Paper 03/2015.
※2 European Commission (2011),“ The European Platform against Poverty and Social Exclusion - A European framework for social and territorial cohesion.”
EUは欧州社会基金などを活用して、これらの人々の就職、最低生活費の保証、健康、教育、住宅、銀行口座保有などの面でサポートしている。例えば、オーストリアでは「360°-Carinthia for beginners」という2012-2014年までのプログラムにより18歳から50歳を対象に、読み書き、計算、PC操作などの少人数教育を施した。参加した171人のうちICTや貿易業などに正社員として就職した人々も出ている。また、スウェーデンの「Utsikten」という2009-2011年のプログラムでは90人の若年失業者を対象に、中等教育などへの再入学を支援した。このプログラムは成功したため、2014年までの新しいプログラムも実施された。
これらの政策には人道的な意味合いだけでなく、経済的な意味合いもある。政策の対象となる人々は十分な教育や就職の機会が得られておらず、潜在的な能力を発揮できていない。その分だけ社会の損失となっている。生活支援や住居の提供などは一時的には財政負担となるが、人々が自立して生活できるようになれば、財政面の負担が減るだけでなく納税者が増えて政府の収入増に寄与できる。移民など様々な人々が社会に参加すれば、人材面での多様性が増し、多様性が企業収益に貢献することで経済全体の競争力も向上する。