今回は、ユーロシステムによる「病的緩和」が金融市場に及ぼす影響について見ていきます。※本連載は、東洋大学経済学部国際経済学科教授・川野祐司氏の著書、『ヨーロッパ経済とユーロ』(文眞堂)から内容を一部抜粋し、EUの経済にまつわる取り組みからヨーロッパ各国の金融政策デザイン、マイナス金利政策などについて解説します。

ユーロシステムが導入した「マイナス金利政策」

2014年6月にユーロシステムはマイナス金利政策とターゲット長期オペ(TLTRO)を導入した。これらの新しい金融政策手段によってユーロ地域のイールドカーブを更に下方にシフトさせ、銀行の貸出を増やすことでユーロ地域の景気を下支えするとともに、ゼロ近辺にあるインフレ率を2%近くまで上昇させることを意図している。

 

SMPやCBPP2などのプログラムは期限が終了したため、APPの拡充を図った。CBPP3は2014年10月から2016年6月まで実施され、2014年11月にはABSPP、2015年3月にはPSPPを導入した(『ヨーロッパ経済とユーロ』、第12章)。2016年3月にはAPPを月間800億ユーロまで拡大した。また、CSPPを公表して2016年6月から社債を購入し始めた。TLTROについては期間を2021年3月まで延長したTLTROIIを導入した。

 

このような政策を続けているが、2014年あたりから資源価格の下落や新興国の減速懸念が広がり、インフレ率は2014年12月には-0.2%まで低下した。2015年4月には0.0%、その後はわずかだがプラスで推移しているが、ユーロシステムが目標としている2%近辺には届いていない。

 

まずはマイナス金利政策から詳しく見てみよう。ユーロシステムは2014年6月に預金金利を0.00%から-0.10%へと引き下げ政策金利も0.25%から0.15%に引き下げた。その後、2014年9月に-0.20%(政策金利は0.05%へ)、2015年12月に-0.30%(政策金利は0.05%で据え置き)、2016年3月に-0.40%(政策金利を0.00%へ引き下げ)とマイナス幅を徐々に拡大させつつある。

 

預金金利は、銀行が必要準備を超えた超過準備をユーロシステムの預金ファシリティに預けることで発生する。金利がマイナスということは、資金を預けると金利を支払う必要があるということになる。もう少しくだけた言い方をすると、お金を貸した人が金利を支払い、お金を借りた人が金利を受け取るのがマイナス金利ということになる。

 

銀行は預金金利のマイナス化にどう対処したらいいだろうか。最も簡単な方法は、戦略を変えることなく預金ファシリティを使うための手数料としてマイナス金利をユーロシステムに支払うことである。ユーロ地域の銀行にとって最も安全な資金の預け先はユーロシステムである。現金のように盗難や紛失のリスクもなく、他の銀行のように倒産のリスクもない。預金ファシリティでマイナス金利を支払うと銀行の収益は悪化するが、必要経費と考えて支払えばよく、経費を他の方法で回収することもできる。例えば、企業貸出や住宅ローンの金利引き上げ、企業や家計から受け入れている預金に対してマイナス金利を適用するなどである。この場合は、企業の投資は増えず、景気の下支えやインフレ率の上昇は見込めない。

 

もう一つの対処方法は、預金ファシリティを使わなくてもいいように超過準備を減らすことである。超過準備を減らした分だけ何か他の用途、例えば国債の購入に資金を使う必要がある。実際にドイツなどの国債に需要が集中して国債価格が非常に高くなっている。アメリカ国債などユーロ地域の外への投資も選択肢となる。ユーロ地域の企業に貸し出すのも選択肢の一つであり、ユーロシステムは企業向け貸出の増加を狙ってマイナス金利を導入したとしている。企業向け貸出が増えて景気が回復すれば、雇用や賃金が上向いてインフレ率が上昇する波及経路が期待できる。マイナス金利が実際に経済にどのような影響を与えるのかは第15章で検討する。

金融政策には「景気の下支え」の力はない

次にターゲット長期オペ(TLTRO)を見てみよう。TLTROは満期と資金の供給量の点で通常のLTROとは異なる。TLTROは2014年9月から2016年6月まで3カ月ごとに合計8回実施されるが、満期は2018年9月と固定されている。2014年9月に供給された資金は満期4年となるが、2016年6月の資金の満期は2年3カ月と短くなる。

 

8回のTLTROは2種類に分かれる。2014年に実施された初めの2回は2014年4月末時点での家計向け貸出(ただし住宅ローンは除く)と企業向け貸出の合計額の7%まで資金が供給される。その後の6回では、貸出合計額の増加分に対してその3倍までの資金が供給される。ある銀行の2014年4月時点の貸出合計額が200億ユーロ、2015年3月時点では205億ユーロになっていたとすると、初めの2回では最大14億ユーロ、2015年3月には最大15億ユーロ、合計29億ユーロの資金をユーロシステムから借り入れることができる。満期は最長4年であるが、2016年9月には繰り上げ返済が可能となる。

 

TLTROの計算の対象には住宅ローンは含まれない。ユーロシステムの意図は明らかであり、銀行には住宅ローンではなく企業向け貸出を増やし続けてほしいと考えている。TLTROのルールでは、貸出残高が減少すると銀行はTLTROで手に入れた資金を返却しなければならない。

 

マイナス金利政策もTLTROも企業向け貸出の増加を狙っている。非伝統的な政策手段を次々に導入しているが金融市場の混乱への対策ではないため、金融システム運営ではなく景気支援だといえる。金融政策で景気を下支えできるかどうかは研究者の間でも意見が分かれているが、日本をはじめとする近年の例を見てみると金融政策には景気の下支えの力はないことが分かる。

 

第3期の終盤に始まった様々な政策は、金融システム運営の観点から実施され、金融の安定を目的としていた。金融危機が発生した時には銀行に対して大量の資金を供給する必要があるが、どれくらいの資金が必要かは中央銀行には分からない。そのため、ユーロシステムが採用したように無制限のオペを実施することで必要な資金量を銀行に決めさせる政策が適している。金融危機のない通常の金融政策では政策金利が重要な役割を果たすが、金融危機では資金量が重要であり量的緩和(quantitative easing:QE)が必要となる。現在のところ、量的緩和は中央銀行が国債を購入することを指しているが、金融政策の理論が整備されれば、量的緩和の定義も変わるだろう。

 

金融危機が落ち着けば量的緩和は不要になり、通常の金融政策に戻さなければならない。しかし、中央銀行には政治や世論の圧力がかかりやすく、不況が終わっていないのに緩和政策を止めることが難しい。中央銀行は更なる緩和政策を迫られる。

 

本来は止めなければならないのに、景気支援のために過剰な緩和政策を続けることを病的緩和(quackish easing)という。病的緩和は不必要な政策であるため、銀行が必要としない資金を供給することになる。資金の供給量を事前に中央銀行が決めることも病的緩和の特徴の一つである。APPやTLTROでは資金の供給量をユーロシステムが決めている。病的緩和は不要な政策であるために政策の実効性はなく、サプライズで金融市場をコントロールするしかない。しかし、金融市場は次第にサプライズに慣れていってしまう。更なるサプライズを与えるために、ユーロシステムはひたすら大きな数字を求めざるを得なくなってしまうのである。

本連載は、2016年11月1日刊行の書籍『ヨーロッパ経済とユーロ』から抜粋したものです。その後の社会情勢等、最新の内容には対応していない場合もございますので、あらかじめご了承ください。

ヨーロッパ経済とユーロ

ヨーロッパ経済とユーロ

川野 祐司

文眞堂

インダストリー4.0,イギリスのEU離脱問題,移民・難民問題,租税回避,北欧の住宅バブル,ラウンディング,マイナス金利政策,銀行同盟,欧州2020…ヨーロッパの経済問題を丁寧に解説。

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