努力が成果に直結した時代もあったが・・・
どの時代に社会人経験をしたかで市場や需要に対する意識の差は大きい。97年以前と以後ではその感覚が劇的に変化する。97年まで小売業に従事していた人にとっては、頑張りの実感が市場の拡大と連動していた。売り上げは毎年右肩上がり、そして次の年は給与が増える。所得が増えたからもっと買い物ができる。未来に希望が持てる時代であった。これは本人の努力もさることながら、成長しているマクロ経済の恩恵であり市場規模の拡大によって、みながその恩恵を享受できた。
一方、97年以降に社会人になった世代にとって、小売業界は努力しても商品は売れず、さらに所得が増えるわけでもなく、それ以前と比較するとまさに受難の時代となった。小売業や商業施設開発に携わる多くの50歳以上の経営者は市場全体が毎年大きくなった成長時代に現場を経験している。一生懸命働くと次の年には売り上げが上がり給与も上がる。去年と今年を比べれば会社の売り上げも自分の給与も一生懸命感と連動して上がっていく。若いときのこの原体験は強烈な印象として体の中に刻まれている。
日本では、現場から管理職へと登用されるケースが多く、市場の理解の基礎は自身がキャリアを積んだ時代の印象が色濃く残ることになる。「たたき上げ型の管理職」がパフォーマンスを発揮できるのは、その人が業務経験を積んで市場の原理を学んだ時代と「今」の時代が同じ環境であることが前提とされる。小売業の管理職の多くが「右肩上がりの時代」に業務経験と成功体験をした世代でもある。
ところが、97年以降社会人になった人たちにとって、小売業とは努力してもそれと連動して売り上げにつながらない、成果に結びつかない業種となった。テレビの経済討論番組で40代の経済評論家が「私たちの世代って社会人になったときから成長の実感がない」とコメントしていたが、中堅社員の共通した意識を代弁しているのではないだろうか。
対前年比を示されても縮小均衡市場の環境において、それを自分たちのせいにされても困るよ、というのが中堅社員の正直な感想だろう。右肩上がりの時代ではないのに、去年と今年の売上高の比較だけでは働くモチベーションを維持するのは困難だ。
旧態依然とした「モノサシ」で市場を測っていないか?
特に大型商業施設では、運営する会社、テナント企業、所有する会社など利害関係者が複数にわたる。そのため、それぞれの利害関係者が理解できる共通のモノサシが必要となるが、使っているモノサシは旧態依然としたものばかりである。マーケットの大きさは商圏人口で測り、マーケットの質は性別と年齢で把握する。業績評価は前の年と比較した対前年比を使う。このようなモノサシだけでマーケティングを行えば命取りとなる。消費が多様になった今、人口は量だけでなく質が問われるようになった。質は性別、年齢以外にライフスタイルで見極めたい。縮小均衡市場であればあるほど、投資に慎重になり意思決定は先延ばしされ、何もしないことが最善策であるかのようなムードが支配的となる。
経済は決して右肩上がりではないので、昨年と同じ水準を維持するには相当の努力が要求され、何もしないことがリスクとなる。そして何かしようとするときに従来型の「販売促進、キャンペーン、イベント」、あるいは最新のツールを使ったスマホ型クーポンなどの集客テクノロジーを採用するなど、笛を吹くことに傾注しがちである。モノと情報があふれる現在、消費者、潜在顧客、既存顧客はますます作為に満ちたキャンペーンには反応しなくなった。求められるのは需要を学び、理解し、発見し、定義し、共有し、それを小売りビジネスに還元するマーケティング力となる。