帰国から1週間後、妹からの電話
帰国からちょうど1週間がたった日のことです。久美子さんから電話がかかってきました。
「お父さんが家で転んで、骨折して入院したの」
和彦さんの父・茂さん(仮名)は89歳。地方の実家で一人暮らしをしています。若いころから酒店を営んでいたため、年金は国民年金だけで月6万円ほど。預金は300万円ほどあるといいます。これまでは、近くに住む久美子さんが買い物や通院に付き添ってきました。
医師からは、退院しても一人暮らしに戻るのは難しいと告げられたそうです。週末、病院の面談室で開いた家族会議で、久美子さんは切り出しました。
「施設に入ってもらうしかないと思う。お兄ちゃん、費用を出してくれるよね。ファーストクラスでヨーロッパに行く余裕があるんだから」
和彦さんは、言葉に詰まりました。長男でありながら、父のことは何十年も妹に任せきりだったからです。久美子さんが候補に挙げたのは、月約22万円の介護付き有料老人ホーム。茂さんの年金を差し引いても、毎月16万円が足りません。
「わかった。俺が出すよ」
その場では、そう答えるしかなかったといいます。
帰りの車のなかで由美子さんは黙り込み、帰宅するとすぐに電卓を叩きはじめました。いまの生活費は月約30万円。年金の手取りは月約21万円で、毎月9万円の赤字です。そこに16万円の援助が加われば、毎月25万円、年間300万円が貯蓄から出ていくことになります。
「旅行のあとの貯蓄は2,900万円。これじゃ、10年ももたないじゃない」
2人が筆者の事務所を訪れたのは、その数日後のことでした。
夫婦の本当の資産寿命
筆者はまず、夫婦の収支を確認しました。総務省の「家計調査(2025年)」によると、65歳以上の夫婦のみの無職世帯の消費支出は月26万3,979円です。中村さん夫婦の生活費はこれより多めですが、交際費や趣味の支出を考えれば、無理に削れる金額ではありません。
由美子さんの計算には、一つ見落としが。由美子さんは65歳になると自分の年金を受け取れるようになるため、2年後には、加給年金がなくなる分を差し引いても世帯の年金は増えます。手取りで月25万円ほどになり、赤字は月5万円程度まで縮まる見込みです。
物価の上昇などを考えない単純計算で、援助をしない場合に90歳までに取り崩すお金は合計で約1,500万円。2,900万円の資産のうち、1,300万円ほどを介護や医療、住まいの修繕に備えて残せる計算です。
ところが、月16万円の援助を続けると状況は一変します。あくまで統計上の目安ですが、厚生労働省の「令和6年簡易生命表」では、89歳男性の平均余命は4.62年です。援助が5年ほどで終わったとしても、90歳の時点で残る資産は400万円ほど。夫婦2人の介護に備えるには足りません。茂さんが長生きして援助が10年続けば、和彦さんが81歳になる年に資産は底をつきます。
「お義父さんがいつまで施設にいるのかは、誰にもわかりません。そこが一番怖いんです」
由美子さんの不安は、大げさなものではありません。問題は援助そのものよりも、上限も期間も決めないまま約束してしまったことにあります。
