【社労士が解説】従業員への損害全額請求に立ちはだかる「高いハードル」
会社から従業員個人や身元保証人へ損害全額を請求することには、法的に高いハードルが存在します。
労働基準法第16条の誤解
労働基準法第16条には「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額の予定をする契約をしてはならない」という規定があります。これは「ミスをしたら罰金1,000万円」といったように、あらかじめ賠償額を定めておくことを禁じるものです。民法に基づき、事後的に「実際に発生した損害」を請求すること自体は違法ではありません。しかし、全額を請求できるかというと別の話になります。
「報償責任の原則」と裁判所の厳しい判断基準
過去の最高裁判例では、従業員のミスによる損害について、会社が請求できる金額は「信義則上相当と認められる限度(通常は損害額のごく一部)」に制限されると示されています。会社は普段、従業員の活動によって利益を得ている以上、そこから生じる損失リスクも会社が負担すべきという「報償責任の原則」があるためです。
裁判所は、従業員の過失の程度、地位や責任、会社の管理体制などを総合的に判断します。今回のケースはAさんの部下の警告を無視した「重過失」に該当する可能性が高いものの、「一人の課長に数億円の決裁を丸投げしていた」「社長自身が未確認事項を認識しながらハンコを押した」という会社側の管理体制の甘さも厳しく問われます。
結果として、数億円の損害全額はおろか、請求できたとしても損害額の数%〜十数%程度に制限される可能性が高いのが現実です。
入社時に親が実印を押した「身元保証書」は数年で“ただの紙切れ”になる?
社長は、入社時に実印を押した身元保証人(父親)にも連帯責任を取らせようとしていますが、ここにも「身元保証法」という盾が存在します。
身元保証契約の「有効期間」
身元保証の契約期間は法律で厳格に定められており、期間の定めがない場合は「原則3年」、定めた場合でも「最長5年」です。自動更新は認められません。Aさんが入社したのは15年前であり、定期的な更新手続きを行っていなければ、その契約はすでに無効となっています。
使用者(会社)の「通知義務」
仮に契約が有効だったとしても、会社には法律上の「通知義務」があります。従業員が役職に就き、会社に損害を与えるリスクが跳ね上がった際、会社は遅滞なく身元保証人にその旨を通知しなければなりません。この通知を怠ると、身元保証人は「そんな重責とは知らなかった」として契約解除を主張でき、裁判でも賠償責任が大幅に減額・免責されるのが一般的です。
