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政治はなぜ遅く見えるのか
物価高による負担増が続くなか、生活者にとって重要なのは、政策が議論されていることではなく、「いつ生活が楽になるのか」という点です。
一方で、政府は「スピード感を持って対応する」と繰り返します。しかし、そのスピード感は必ずしも国民が思い描くものと同じではありません。
「早くしてほしい」と政治の時間軸
物価高が続くなか、政府に対して「もっと早く対策を実施してほしい」という声が上がるのは自然なことです。普段、スマートフォンを操作すれば数秒で情報を得ることができます。ネット通販で注文した商品は翌日に届き、銀行振込も瞬時に完了します。こうした環境に慣れた現代社会では、「決めたらすぐ実行される」ことが当たり前になっています。
その感覚で政治を見ると、政策決定のスピードはどうしても遅く映ります。
しかし、税制や社会保障制度はアプリのアップデートとは異なります。制度を変更すれば、国民や企業、自治体など社会全体に影響が及ぶため、多くの関係者との調整が欠かせません。
政府が何らかの方針を示したとしても、その後には制度設計や法改正、実務面での準備が待っています。政治の世界では、決断そのものよりも、その決断を実際の制度として形にする作業に時間がかかることが少なくありません。
その典型例が、食料品消費税ゼロの議論です。
消費税減税が動き出すまで
食料品消費税の税率をゼロにすると聞くと、「税率を変更するだけだから、すぐにできるのではないか」と思う人もいるかもしれません。
しかし、実際にはそう単純ではありません。
まず、消費税率を変更するためには消費税法の改正が必要になります。税制改正は通常、関係省庁や与党内での議論を経て、税制改正大綱に盛り込まれ、その後に法案として国会へ提出されます。国会で可決・成立して初めて、制度変更への道筋が見えてきます。
さらに、法律が成立した後も準備は続きます。国税庁による通達の整備、企業の会計システムや経理システムの改修、小売店のレジ設定変更、価格表示の見直しなど、現場での対応が必要になるためです。
2019年の軽減税率導入時の混乱は先に触れたとおりですが、食料品の税率をゼロにする場合も、同様の対応が全国規模で必要になります。
つまり、政治的な決断が行われたとしても、その翌日から制度を実施できるわけではありません。税率変更ひとつをとっても、法律と実務の両面で準備期間が必要になるのです。
もっとも、制度変更に時間がかかるのは消費税だけではありません。給付付き税額控除もまた、別の意味で大きな課題を抱えています。
給付付き税額控除というもう一つの壁
消費税減税が既存制度の修正だとすれば、給付付き税額控除は新たな仕組みを構築する作業に近いものです。
給付付き税額控除では、所得に応じて給付や控除を行うため、まず「誰を対象とするのか」を決めなければなりません。
●どの所得水準まで支援するのか
●どの段階から給付額を減らしていくのか
●世帯単位で判定するのか、それとも個人単位なのか
制度の骨格だけでも決めるべき事項は数多くあります。
さらに、正確な所得情報を把握するためには税務システムや自治体システムとの連携が不可欠です。近年はマイナンバー制度の整備が進み、以前より導入しやすい環境が整いつつありますが、それでも全国規模で安定的に運用するためには相応の準備期間が必要になります。
給付付き税額控除は、単なる減税制度ではありません。税と社会保障を組み合わせた再分配制度そのものの見直しを意味するため、制度設計にも慎重さが求められます。
このように考えると、本書で見てきた二つの政策は、どちらも「決めればすぐ始められる政策」ではないことが分かります。
そして、ここに政府と国民との間にある時間感覚の違いが見えてきます。
「スピード感」の正体
生活者にとってのスピード感とは、「いつ生活が楽になるのか」という時間軸です。
物価高のなかで日々の支出が増えている人にとっては、半年後や一年後の制度改正よりも、来月の家計がどうなるのかが重要です。
一方で、政策立案に関わる人たちが使うスピード感とは、「通常よりどれだけ早く制度を整備できるか」という意味になります。
同じ言葉を使っていても、見ている時間軸が異なっているのです。そのため、政府が「迅速に対応している」と考えていても、国民には「まだ何も変わっていない」と映ることがあります。
どちらかが間違っているというわけではありません。問題は、その認識の違いが十分に共有されていないことにあります。
だからこそ、政府に求められるのは政策の必要性を説明することだけではないでしょう。
●いつ結論を出すのか
●法改正はいつ行われるのか
●制度はいつ実施される見込みなのか
その工程をできる限り具体的に示し、国民と時間軸を共有することが重要になります。食料品消費税の減税であれ、給付付き税額控除であれ、本書で見てきた政策はいずれも大規模な制度改革です。そして大規模な制度改革ほど、実現までには時間がかかります。
政策の是非を議論することはもちろん重要です。しかし、それと同じくらい重要なのが、「いつ実現できるのか」という現実的な見通しを共有することです。
政治と国民との距離を縮める第一歩は、その時間感覚の違いを互いに理解することなのかもしれません。
矢内 一好
国際課税研究所
首席研究員
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