認知機能の低下が見られはじめた父の隣で、母が下した決断
A家は、父・母・Aさんと2人の弟の5人家族である。A家は長年、千葉県松戸市にある大規模分譲マンションで暮らしてきた。
実家は父名義。不動産は、所有者の家族だからといって自由に売却できるわけではない。登記名義人本人が売買の内容を理解し、「この人に譲渡する」「譲渡したらどうなるのか」を理解できなければ、売却手続きは進めることができない。
父の判断能力が低下しはじめたのは数年前のこと、Aさんの母は、知人との会話から、「家族信託」という仕組みがあることを知る。父母と3きょうだいは話し合い、まだ父が内容を理解し、意思を示せる段階で「家族信託」を設定することにした。
その少しあと、母は逝去。あとから振り返ると、母が亡くなる前にしたこの決断が、家族にとって大きな意味を持つことになる――。
母が亡くなり、父が施設へ…「空き家」になった実家
母の死後、認知機能の低下が進み、一人暮らしができる状態ではなくなった父は施設へ入居。Aさんを含めた3きょうだいは全員独立し実家を出ていることから、マンションは空き家になった。
ここで、「実家問題」が浮上した。残すのか、貸すのか、売るのか……。マンションであれば、誰も住んでいなくても管理費や修繕積立金などの負担が続く。困ったAさんは、不動産相続に詳しい筆者に相談の連絡を入れた。
「空き家になった実家を、どうしたらいいかわからない」
「名義が父」の実家を売却
実は、筆者自身の実家もA家と同じマンションにある。Aさんとは小学校時代の同級生で、親同士も交流があった。つまり筆者は、Aさんの実家を単なる「売却対象の中古マンション」として見る人間ではなく、そこがどんな思い出の詰まった場所なのかを熟知している。
「こういうことを相談するなら、知っている人にお願いしたいと思って」と話すAさんの期待に応えるべく、筆者は襟を正し、Aさんの実家問題に向き合うことにした。
状況を整理すると、実家は「売却」するのが最善の選択であるという結論に至った。しかし、不動産売却には、「所有者本人の意思能力」が必須である。認知症などで意思確認ができない場合、売却は事実上不可能になってしまう。Aさんの父は認知症で施設に入居しており、判断能力には不安がある状態だ。
「それだと売却は難しいかもしれない」
しばし沈黙が流れるなか、筆者がAさんの持参した資料を眺めていると、そのなかに「信託契約書」があることに気づいた。即座に筆者はAさんに尋ねた。
「もしかして、家族信託契約があるの?」「ああ、うん。生前、お袋の勧めで締結しておいた」「それなら、売却できるよ!」
家族信託とは、判断能力が低下しても家族が財産を管理・処分できるよう、財産の権限を家族(受託者)に託す仕組みのこと。成年後見制度より柔軟に資産凍結を防ぐことができる。
「委託者(父)」「受託者(子)」「受益者(父)」という構造を作り、不動産の管理・処分権限を受託者に移すことで、父が意思能力を失っていても、受託者が売主となって売却手続きを進めることができるのだ。
こうして順調に売却は進み、Aさんは実家を手放すことになった。

