「しばらく泊めてほしい」86歳母の一言で変わった老後計画
「しばらく、ここに置いてもらえない?」
母の房子さん(仮名・86歳)がそう言って訪ねてきたのは、正志さん(仮名・65歳)が会社を退職して1ヵ月ほどたったころでした。
正志さんは妻の恵美さん(仮名・64歳)と二人暮らし。自身の年金は月約21万円で、恵美さんも65歳から年金を受け取る予定です。住宅ローンは完済し、退職金と預貯金を合わせて約3,000万円ありました。
退職後にまず考えていたのは旅行です。現役時代はまとまった休暇を取りにくかったため、春と秋には国内旅行へ出かけ、翌年には夫婦でヨーロッパへ行こうと話していました。
「退職したら、やっと予定を自分で決められる」
正志さんはそう思っていたといいます。
房子さんは電車で約1時間半離れた戸建てで一人暮らしをしていました。父親は10年前に亡くなっています。買い物や炊事も自分でできていると聞いており、正志さんが月に一度訪ねても、「まだ人の世話にはならない」と話していました。
ところが、詳しく聞くと、数ヵ月前から事情は変わっていました。
足腰が弱り、スーパーまで歩くのが難しくなったほか、浴室で転倒したこともあったといいます。近所の知人に買い物を頼む回数も増え、「このまま一人で暮らすのが怖くなった」と打ち明けました。
「どうしてもっと早く言わなかったんだ」
「あなたも仕事が大変そうだったから。退職したって聞いて、もう頼ってもいいのかなと思ったの」
その言葉に、正志さんは返事ができませんでした。
一方、恵美さんも戸惑っていました。房子さんとの関係は悪くありませんが、同居したことはありません。食事や通院など、日常的な支援が必要になれば、自分が担う場面が増える可能性があります。
夫婦はその日から房子さんを泊めることにしましたが、すぐに永久的な同居を決めたわけではありませんでした。
内閣府『令和7年版高齢社会白書』によると、65歳以上人口に占める一人暮らしの割合は、2025年の推計で男性18.3%、女性25.4%。一人で暮らす高齢者が増えるなか、年齢とともに買い物や通院などの日常生活に支援が必要になるケースもあります。
数日間一緒に暮らしてみると、房子さんは食事や着替えは一人でできますが、階段の上り下りには不安がありました。薬を飲んだかどうか分からなくなることもあり、正志さんは「一人暮らしに戻せばいい」と簡単には言えなくなりました。
