「遺産は君と僕で半分ずつでいいよね」耳を疑った兄からの言葉
母親が亡くなり、葬儀が終わって少し落ち着いたころ、兄妹で相続の話し合いをすることになりました。
母が残した財産は、評価額およそ2,800万円の自宅と、預貯金約600万円です。
美智子さんは内心、「私は10年も母の面倒を見てきたし、兄もそのことは分かっているはず。少なくとも、私が少し多めに相続することには納得してくれるだろう」と思っていました。
ところが、兄である康太さんの口から出たのは、美智子さんの想像とはまったく違う言葉でした。
「相続人は僕と君の2人だから、法律どおり半分ずつ分けるのでいいよね」
美智子さんは耳を疑い、「私は10年もお母さんの介護をしてきたのよ?お兄ちゃんは何もしていないのに、私と同じだけ相続するつもりなの?」と康太さんを問い詰めます。
康太さんは「母さんの介護をしてくれたことには感謝しているよ。でも、親の面倒を見るのは子どもとして当然のことじゃないの? それに、僕だって遠方からできることはしていたつもりだよ」と答えました。
この一言で、美智子さんの感情は一気に爆発しました。
何もしていない人にそんなことを言われたくない。母の最期を支えたのは自分なのに、都合のいいときだけ相続人としての権利を主張するのか。
それまで表面上は問題のなかった兄妹関係が、相続をきっかけに決定的にこじれてしまったのです。
「介護した子が当然に遺産を多くもらえる」というわけではない
このケースで、母親の介護をしていた美智子さんの感情はよく分かります。
10年にわたり時間も労力も精神的負担もかけて親を支えてきたのに、ほとんど関わってこなかった兄が、相続になった途端に法定相続分を主張する。納得できないと感じるのは自然なことです。
しかし、法律上は注意が必要です。親の介護をしていたからといって、その子どもが当然に多く相続できるわけではありません。
寄与分が認められるかは「期待される範囲を超えた特別な貢献があったか」が争点
民法には「寄与分」という制度があります。被相続人の財産の維持または増加について特別の寄与をした相続人がいる場合に、その貢献を相続分に反映させる制度です。ただし、実際に寄与分が認められるかどうかは簡単な話ではありません。
親子には、法律上も道義上も一定の扶養義務があります。そのため、通院に付き添った、買い物を手伝った、身の回りの世話をしたというだけでは、通常の親子間の助け合いの範囲と見られることがあります。
寄与分が問題になる場面では、単に「介護をしていた」というだけでなく、通常期待される範囲を超えた特別な貢献があったか、その貢献によって親の財産が維持または増加したといえるか、という点が問われます。
たとえば、長女が10年間無償で介護を続けた結果、本来であれば必要だった介護費用や施設費用の支出を抑えられた、という事情があれば、寄与分が問題になる余地はあります。しかし、それを兄がすんなり認めるとは限りません。話し合いでまとまらなければ、家庭裁判所での調停や審判に進むことになります。
つまり、介護をした子が「当然に多くもらえる」のではなく、介護による貢献を相続分に反映させるには、他の相続人の納得や一定の証拠・説明が必要になるのです。
