「まさか、あの人が出ていくなんて…」
神奈川県に住む小山美津子さん(仮名・69歳)は、3年前に夫・康弘さん(仮名)が定年を迎えたことをきっかけに、ふたり暮らしを始めました。子どもたちはすでに独立し、30年以上続いた「家にいない夫」が、突然“毎日家にいる存在”になったのです。
「最初は楽しみにしていたんです。でも、2週間も経つと違和感だらけで。生活音のひとつひとつが気になって、何を話していいかも分からなくなって」
夫婦の会話は日ごとに減っていき、リビングに沈黙が漂う日が続いたといいます。
ある日、美津子さんが買い物から帰ると、リビングの机に小さなメモが置かれていました。
「すまん、俺が無理だった。ここにいるのがつらい。しばらく距離を置かせてほしい。康弘」
テレビも消えたまま。クローゼットからは、夫の普段着と通帳の一冊が消えていました。
「ショックというより、“何がどうしてこうなったのか”がわからなくて…ずっと呆然としていました」
しばらくして、娘を通じて、康弘さんが定年直前まで勤務していた地方都市にある旧社宅アパートに“戻って”暮らしていることがわかりました。
「実は夫、定年まで数年単身赴任だったんです。退去はしていたけど、家具は最小限に残していて、近くの月3万円の古いアパートに入り直したみたいです。正確には“新生活”じゃなくて、“元の場所に戻った”という方が近いですね」
美津子さんによれば、夫の退職金は一部を家計とは別に管理していたため、敷金・礼金などはその中から支払ったようだとのこと。
「最初は、“年金暮らしで出ていける余裕なんてあったの?”って思いました。でも、考えてみたら、自分の年金と貯金で“最低限だけで生きたい”と思ったのかもしれません」
