前回は、「志望校」の選び方について説明しました。今回は、子どもが受験に失敗した際に、親としてどう対応すべきかを見ていきます。

受験結果や成績、偏差値だけにとらわれない

最近の親御さんたちに接していて私が心配になるのは、親が子に寄り添うのではなく、子どもの特徴を見ないで親の価値観の枠に子どもをはめよう、はめようと、躍起になっている人が少なくないということです。

 

そういう親のひとりよがりの期待というか、欲深さは、子どもを追い詰めたり、歪めたりしてしまいかねません。

 

大人も子どもも、人間には一人ひとり個性があります。それは、各人が個性を生かしつつ、社会のさまざまな分野でそれぞれの職業を通して世の中に貢献するようになっているからです。そこに優劣はないはずで、どの人も同じよう尊く、価値があります。

子どもが努力の末に入った学校は、貴重な学びの場

かつて、Eくんという印象的な子がいました。Eくんは勉強を覚えるのにはかなり苦労した子でしたが、誰にもない心の優しさと徳を備えていました。

 

彼はいつも昼食後、一人で黙々と校舎の外のゴミを拾い、道端の小さなゴミ一つ見逃さないよう目を配っていて、それは雨の日も風の日も、毎日同じように続きました。

 

冬になって雪がたくさん降ったある朝、誰かが外で何かやっているなと思って私が窓を開けると、Eくんがいます。バス停にたくさん降り積もった雪を一生懸命かいては道を作っていたのです。

 

「Eくん、バス停はね、バス会社の人が来て雪かきをしてくれるんだよ」と言うと、「先生、だってその人たちが来て雪かきをやる前に、バスから降りる人がいたら困るでしょう」と答えてまた雪をかき始めました。

 

そこが済むと、今度は当校の先生たちの駐車場の入り口を丹念にかいていました。Eくんは冬の間中、雪の積もった朝はほかの子より1時間も前に来て、欠かさずに雪かきをやり通したのです。そういう子はなかなかいるものではありません。Eくんは勉強以上の、人間としての美しさを備えていて、それを友達や私たちに教えてくれました。

 

しかし最近は、成績などの数字に表れない子どもの価値に、きちんと目を向けられる大人が少なくなっているのではないでしょうか。有名高校から有名大学、一流企業に進むことが唯一の価値であり、そこを少しでも外れてしまったら落伍者のレッテルを貼る、という風潮が強くなっている気がします。

 

繰り返しますが、子どもには一人ひとり、異なる個性があるのです。

 

勉強に意識が向く時期も違いますし、勉強を始めてから伸びていくまでの時間も、子どもによりそれぞれです。中学で伸びる子もいれば、高校で伸びる子もいます。高校を卒業して一念発起して大学受験に挑戦し、大学で伸びていく子もいます。もっといえば、学生時代の勉強はパッとしなかったけれど、大人になって社会で力を発揮する人も大勢います。

 

だから万一、受験で一度や二度、失敗しても決して悲観することはないのです。まして子どもの価値を低く見るなんて、とんでもありません。

 

受験の結果、第一志望の学校に行けなかったとしても、子どもが努力の末に入った学校は、神さまが選んでくれた学びの場です。そこでまた頑張ればいいのです。

学力は「食育」でつくられる。

学力は「食育」でつくられる。

池上 公介

幻冬舎メディアコンサルティング

勉強は「基礎が大事」と言われます。基礎がきちんとしていなければ、その上にいくら知識を積み上げても結局崩れてしまいます。同様に、学習に取り組む意欲や自己を律する自制心、困難に負けずに学び続ける気力・体力も大切です…

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