まず、教える側が子どもの「理解度」を把握する
勉強に対してやる気をもてずにいる子は、「勉強の楽しさ」や「学ぶよろこび」をまだ知らずにいる、というケースが少なくありません。
学校にはさまざまな学力の子がいますが、授業はだいたい中間的な学力の子に合わせて進んでいきます。また学校の先生たちは、先生になるくらいですから、もともと勉強が好きな優秀な人が多いものです。そのような環境では、教師の思いもよらないところで授業についていけない子、いわゆる落ちこぼれをつくっていることがあります。
前にもこんな例がありました。
当学院の高校受験科にある日、教育大学を出た英語の新任教師が2名訪ねて来ました。そして「学力不振の子どもたちの指導をしたい」と言うのです。受けもつクラスは、学力不振の子たちが集まるB組です。
授業を覗くと、資料をたくさん持ち込んで大変な意気込みで教えています。ところが、子どもたちはまるで生き生きした様子がありません。授業が死んでいるのです。
教えていたのは動詞の過去形でした。playにedをつけて過去形になる、likeは語尾が「e」なので、dだけをつける、とやっています。若い彼らは説明するのに必死で、生徒たちの様子にはまったく気付いていません。
そこで私は「先生たち、ちょっと休んでいてくださいね」と声をかけ、生徒たちに質問しました。「君たち、過去形ってわかる?」。すると、みんなが首を横に振るのです。私が想像したとおり、誰一人、日本語の過去形の意味がわかっていなかったのです。
私は過去形の意味をかみくだくように説明して、「山田くん、それじゃ、起きるの過去は?」「起きた」「次は佐藤さん、食べるの過去形は?」「食べた」というふうに、子どもたちに過去形を実感として理解してもらい、それから英語の授業に戻ってもらいました。
このように教える側が子どもの状況を把握していないと、子どもにとって授業は、まるでわからない話を聞くだけの、ただ耐える時間になってしまいます。これでは勉強を楽しく感じられるはずもなく、教える人間の責任は重大だと痛感します。
子どもの勉強の「できるところ」に目を向ける
大切なのは、やはりその子のレベルに合った勉強をすることです。
英語であれば中1から、数学であれば場合によっては小学校の分数の計算などからやり直したほうがいいケースもありますが、それを恥じることはありません。その子に合ったレベルで学んで「わかった! できた!」という経験が、学習に向かう強い原動力になるのです。
また親御さんは、学ぶよろこびを教えたいと思うのであれば、子どもの勉強のできるところに目を向けてあげてください。
教科では、数学が苦手でも理科が好きで得意なら、そこを伸ばそうと考えればいいのです。なにか一つ得意な科目があって、「そこは自信がある」「誰にも負けない」というものができれば、勉強はがぜん楽しくなります。
得意科目の勉強を進めていったら、苦手科目もだんだん点数が上がるようになったという例は、当校でも数え切れないほどあります。
同じ科目のなかでも、ジャンルによって得意や苦手があると思いますが、できたところを認めて励ます、これを根気よく繰り返していくことです。継続は力なりで、親も子も根気が必要なのです。
それでも、うちの子は得意といえるものがなにもない、勉強だけでなく生活全般にやる気がないというときは、食生活と姿勢を見直してみてください。
食育と立腰を心がけると体がピシッと定まり、体がしっかりしてくると心にもエネルギーが生まれます。すると、子どものなかで「やってみよう、やってみたい」という何かが動き出します。