中学校で「落ちこぼれ」になってしまったFくん
私が子どもの可能性というものに真に気付かされたのは、中学を卒業したばかりのFくんとの出会いがきっかけです。私が中学浪人予備校を立ち上げて、4年目の早春のことでした。Fくんの母親はがんで入院中とのことで、痩せ細って見るからに痛ましい姿で学院を訪れ、こう話しました。
「私はここしばらく手術と入退院を繰り返してきましたが、子どものために死ぬわけにはいかないという一心で、病気と闘ってきました。息子が小学5年のときに夫と別れたので息子はおばあちゃんに預けましたが、住んでいる地域の教育レベルが高かったためでしょうか、だんだん落ちこぼれてしまい、中学ではついに全校最下位になってしまいました。
でも、息子はいい子なんです。私の入院している間、たびたび見舞いに来てくれ、私にニコニコと微笑みかけてくれました。私は息子が見舞いに来るたび、まじめにやりなさい、まじめにやれば必ず報われるから、と言い続けてきました。
うちの息子はいい子で、それまで見舞いに来た私の前で一度だって愚痴をこぼしたり、嫌なことを言ったりしませんでした。今回の高校受験も誰にも相談できず、一人で受験しました。
しかし受けても落ち、二次募集でも三次募集でも落ちて、私の顔を見るなり、病院中に響かんばかりにわんわん泣いたのです。
『俺は3年間、まじめに学校に通ったよ。学校では勉強なんか全然わからなかった。3年間、みんなから馬鹿だアホだと言われ続けた。だけど、母さんがまじめにやればなんとかなるって言うから、まじめに通ったけど、何ともならなかったじゃないか! わからない授業をじっと椅子に座って聞く辛さ、母さんにはわからないだろう』
私はこれでは死んでも死にきれません。先生、お願いですから面接だけでもしてください。それでダメなら、私はあきらめます」
私はFくんに会うことにしました。目の前に現れたFくんを見て、びっくりしました。身長180㎝はあるような、実にきちんとした少年が立っていたからです。これが学年最下位で、中学にも高校にも見放された少年かと目を疑いました。
そこでFくんを座らせ、紙に英語の中学1年のスタートである「This is a pen.」と書きました。読んでごらんと言うと、彼は首を横に振りました。わからないのです。数学と国語の先生を呼んで同じように見てもらいましたが、まったくダメでした。
私は驚くと同時に、怒りがこみ上げてきました。「こんないい子が取り残され、高校にも行けずに将来を閉ざされてしまうなんて間違っている!」と。
そしてFくんに問いかけました。
「高校に行きたいのかい?」
「はい」
「できる勉強ならしてみたいかい?」
「はい」
「よし、わかった。明日から君に勉強を教えよう」
そこから、私たちの戦いが始まりました。
子どもはみな、伸びていく力、成長する力をもっている
Fくんを入学させることを決めると、彼が自分と似たような子たちも助けてほしいと言うので、Fくんを含めて中学の学年最下位レベルの5人の子が高校受験を目指して勉強をすることになりました。
彼らの指導は、一つ覚え、二つ覚え、三つ目に行こうとするとそれまでのものが崩れるといった調子で、正直、生易しいものではありませんでした。こちらが泣きたくなったことも何度もあります。
しかし、さまざまな紆余曲折を経て秋頃になると、成果が目に見えるようになり始めました。かつて落ちこぼれと言われた子どもたちも、私たちの必死の指導に懸命に食らいついてきます。
そして翌春。とうとう5人全員が無事に高校に合格したのです!
私たちはあまりの感動に腰が抜け、へなへなになっていたのを覚えています。Fくんと仲間たちはピカピカの制服を身にまとい、晴れやかな顔でそれぞれの高校へと進学していきました。
世間は成績や学力だけで子どもを判断して、あの子は「落ちこぼれ」「ダメな子」と決めつけてしまいがちですが、そういう偏見からは何も生まれません。
子どもはみな、伸びていく力、成長する力をもっています。親御さんや私たち大人にできることは、成長の土台となる食事と生活をしっかり整え、子どものなかの伸びていこうとする力を信じることなのです。