皇帝が国家財政を傾けてまで建造
アーグラのホテル「ザ・ゲイトウェイ」はインドの一流、タタ財閥の経営らしい。この財閥はボンベイ(今のムンバイ)の貿易商が発祥で、今や欧州の大製鉄所を経営するほどの大発展を遂げたという。インドはホテルが衛生面などで最も信用できるのでここは安心である。
バスで北へ出発して相変わらずゴチャゴチャした市街地を一キロメートル走ると、視界が開け、世界最美といわれるタージ・マハルの廟が遠くに見えてきた。ぐんぐん近づくと、白い大理石のドームが特徴的で、インドの土くささと無縁の建築がそびえ建つ。一六五三年完成したものだそうだ。
ここでインド建築歴史の膨大さのほんの一部を紹介しよう。
一・ 先史時代(BC六世紀以前)のインダス文明におけるモヘンジョダロをはじめとする高い都市計画群。
二・ 古代(BC六〜AD五世紀)、仏教、ジャイナ教などの寺院建築。ブッダガヤ、サルナート、アジャンタ、エローラなどが有名。
三・ 中世(五〜一三世紀)、ヒンドゥー教建築の発展期。北部、南部、中間などに優れた実例がある。
四・ 近世(一三〜一八世紀)ムガール帝国の制覇によるインド・イスラム美術の展開期。衰亡前の後期の最大傑作が今、目の前にあるタージ・マハルである。
この建築はムガール五代皇帝シャージャハンが亡き王妃ムムターズ・マハルのために建てた霊廟である。墓壇の大きさは九五メートル四方、本体は五七メートル四方、高さは六七メートルである。
内部は貴石の宝庫だが土葬の墓のため撮影禁止である。一般にイスラム教徒は土葬であり、ヒンドゥー教徒は天界に上がるため火葬にする。
タージ・マハルは満月の夜に見ると深閑とした霊気に包まれるという。皇帝は国家財政を傾けて廟を造り、結局、帝国の滅亡の原因となった。青白い完全なシンメトリーは病的にさえ見えるのは私の独断ではなかろう。一体人間にこれほどの墓が必要なのか。
ガンジス河へ遺灰を流すヒンドゥー教徒を見てから私は不条理と感じ始めたので考えないことにした。この優れた建築はもちろん世界遺産に登録されている。
「ノラウシ」がうろうろしているホテル周辺
ヤムナ河を少し西に走ると赤砂岩の堂々たるアーグラ域が湖畔にある。アクバル帝により一六世紀に建てられた。野生のリスが庭を走り回っていて楽しそうだ。
夕方ホテルに戻り食事後、インド風マッサージを体験しないかと言われ出かけた。「アーユルベータ」という香油マッサージを受け、疲れがとれてぐっすり寝られた。
二十五日朝、ジャイプールへまた五時間の長丁場に出発。インドには尊ばれるウシが多く、皆黒いノラウシでうろうろしているが、かつて聞いていたような道路を横断して車を止めるということはない。さすがの聖牛も車の怖さを知ったのだろうか。