BC五五六年頃、北部インドで「太子」として誕生
東日本大震災の中心をなした大問題は、結局、津波と原子力に対する日本人の無知無関心(勿論、私も含めて)にある。あの前日までは弱肉強食と無責任と空論の世界をウロウロしていた。自然は正直だった。
震災の五カ月前にインドに旅して前回述べたようにブッダの初転法輪の聖地サルナートを訪れて感じたのは、ブッダの生涯こそインド人を理解する最良の道ということだった。
それが日本の震災ストレスを直す一方法と思い、私と同年配のひろさちや氏の文献を中心に、松原泰道、中村元、山折哲雄、手塚治虫、玄侑宗久、L・ストローズ、ショーペンハウアー、ニーチェ、A・カミュその他の資料を参考にしてブッダの伝記を書くことにする。
BC五五六年頃、北部インド(現ネパール)の農業の国釈迦国カビラ城に太子としてゴータマ・シッダールタが生まれた。世襲ではなかったので、必ずしも王位は約束されていなかった。母を生後間もなく失い叔母に育てられた。
「阿含経」によるとおそらく十二歳の頃、農耕祭に招かれた時に土の中から虫が目覚めて出てきたが、小鳥が雛の餌にと銜えて飛び上がり、そこへ猛禽が舞い降りて小鳥を掴んで悠々と飛び去った場面を見たという。まさに「弱肉強食」の場面である。
多くの人々が「わあーっ」と喚声を上げる中、シッダールタは、ひとり「むごい! あまりにもむごい!」と呟き、そっとその場を立ち去った。
これがシッダールタの最大の問題意識であったと思われる。彼が感じた「むごさ」を現代人は「食物連鎖」と呼び、多くの現代人からは宗教家の感傷で、現実世界の厳しさを問題解決できるわけがないと批判されるにちがいない。彼の思いは現代の合理主義者に却下さるべき小児の戯言だろうか。
いや、そうではない。
もし我々がこれを「あたりまえ」の一語で片づけるなら、我々は知らぬうちに「競争原理」を承認し、強者による弱者の支配を容認することになる。差し支えあるかもしれないが、政権や大企業の言いなりになってしまうことにもなるだろう。シッダールタの弱肉強食は、人間だけに絞るとわかりやすい。
私見だがシッダールタの感覚は、カール・マルクスの発想と似ている。マルクスも産業革命時の下級労働者(弱者)の惨状を「むごい」と見て、大作の資本論で告発したが、膨大な仏教経典と似て私はまだ読破していない。しかし発想が同じ点は読者にも納得いくのでないか。
ただし、マルクスは西洋思想の下敷きになる終末論の域を出ず、労働者と資本家の最終戦争を予感させる。一方シッダールタはインドの輪廻思想の中で生まれたので、人の心の内部を長い修業で悟ろうという穏健な点から出発したため、東洋人の我々には親しみやすいだろう。
そして、最近東日本大震災で、特に言葉に軽率な人が叫んでいた、「がんばろう」という他人事のようなセリフと反対の「がんばらない」という境地に至る。
その後、ゴータマ・シッダールタは、年頃になり結婚し、子供にも恵まれた。何不自由ない生活で、恐らく当時の太子なので多分、女性は手あたり次第。快楽の極みだったろう。
そのうち「四門出遊」という伝説が教典「五分律」に出ている。青年シッダールタは快楽の中でも、哲学的煩悶に思いが行ってしまうという性格のようだった。「弱肉強食」という人生の大問題意識を持ったので、様々なことを考えた。父王は心配してカビラ城の外で息抜きしてこいと命じた。
そして東門で老人と、南門で病人と、西門で死人と出会った。シッダールタは出遊を中止してカビラ城へもどった。この時点で、彼は「老病死」を連続的変化と認識した。
最後に北門の外で清々しい修行者を見て、「生」を感じて、こうして「生老病死」が連続した人生と感じ、いつか修行者になろうと思った。まだこの時点では人生の「生老病死」のすべてが「苦」であるとまでは認識されなかった。
四門の話はあくまで伝説であるが、シッダールタはこの時期、出家の機会を待っていたのは事実であろう。
修行の果てに、ついに「四諦」という真理を悟る
彼は二十九歳の時遂に出家した。親を捨て(この点は孝を大切にする日本の儒教では鋭く批判される)、妻子を捨てて、一人家を出て四〇〇キロメートル先の文化高いマガダ国のラージャグリハに向かって歩いて行った。
シッダールタの出家はただの出家ではない。問題意識を持って、ブッダを目指した決然たる修行への出発であった。彼は師を求めたが、いずれも失望し、次に試みたのは「苦行」だった。インドは昔も今も、苦行者に出会える。例えば釘を打ち付けたベッドの上に寝たり、太陽を裸眼で二十分ほど見つめたりするそうだ。
シッダールタは一本足で長時間立ち続けたり、人間の排泄物を食って生き延びたり、灼熱の夏の太陽の下で裸で生きたりしたと仏典にある。
苦行の最たるものは断食であった。超人的な断食で骨と皮ばかりで、死とすれすれになり、これは北部インドで有名になり、一緒に修行したいという者が五人も集まってきた。ナイジャンジャナー河の辺で座禅をしていた時、一人の農夫が民謡を歌って通り過ぎた。
「琵琶の弦を、締めすぎるとプッツリと断れ、弛めりゃべろんべろん」というような調子だったという。その歌は彼にとって天啓であった「中道」という言葉がひらめいた。快楽主義と苦行主義の二つの極端から離れることに気づいたのだ。
だが五人の仲間はこの言葉を聴いて、「どうも中途半端という感じでよくわからん」と言って去ってしまった。シッダールタは一人で考えを深め、「四諦」という四つの真理を悟った。
一・苦諦(苦に関する真理)
二・集諦(苦の原因に関する真理)
三・滅諦(苦の原因の滅に関する真理)
四・道諦(苦の原因を滅する方法に関する真理)
という空前絶後の教義で非常に簡単にまとめると、人間の「苦」の原因は「欲望」にあるという大前提から教義が始まる。