数々の有名寺院がある聖都
次に聖都ベナレスの中心地のヴィシュワナート寺院のシヴァ神をみて駅の近くのバーラト・マーター寺院という、寺というよりオフィスのような建物で大きなインドの立体地図を見た。その精巧さに感心する。
ドゥルガー寺院は赤い奇麗な本堂があるが、ヒンドゥー教徒しか入れない。回廊から見ると凶暴なサルが多いので要注意。ベナレス・ヒンドゥー大学はインド民族文化を総合的に研究する有名な大学だが、中心地やガートの喧騒と違って穏やかな空気が漂う。
さて今回の旅で最も期待していたベナレスの北東一〇キロメートルの、四代仏跡の一つ、サルナートの町に来た。史跡に近づくと、清浄の雰囲気に身が引き締まる。芝生の彼方にダメーク・ストゥーバ、ムルガンダ・クティ寺院、考古学博物館が見える。
仏跡とブッダ(仏陀)の生涯の解説は後の記事で詳しく述べるが、博物館の左奥ホールにあるお釈迦様の初転法輪像は優しく美しい名作であることを特記する。
ここから空港へ行く途中の道路端にバスを停めるようアシュラが指示した。付近は広いが平凡な農作地帯である。彼はこれから普通の農家を見せると言って、自動車道路から一〇〇メートルほど離れた部落へ畦道を案内した。
歩みを止めたのは一軒の土をこねた泥の家。毎年、洪水が来ると流されるような家。唯一の家具は手押しポンプの井戸のみ。アシュラが声を掛けると上半身ハダカで青い腰巻きのオヤジがノッソリと出て来た。続けて子供が五人もハダシでバラバラと出て来て、母親も出て来た。アシュラが説明した。
「一般に農家では電気、水道、ガスはありません。もちろん電話、テレビ、新聞のような通信手段もありません。何の楽しみもなく、子作りだけが娯楽です。最も深刻なのは学校教育がないことです」
車の入らぬ農村は百年以上前の日本の風景である。インドを考えるのは「無」から始まり「無」に終わるのか。ベナレス地方に強い印象をもって空路でデリーへ戻る。
インフラや社会システムの整備に関心が薄いインド人
すぐにバスに乗り換え、五時間かかるというアーグラへ出発したのが午後六時だった。六車線の高速道路と聞いていたが、日本と違い平面道路で信号がないのはよいが、左右の地域を架け渡す陸橋もない。
デリーを抜けるまでに大渋滞がありつらかったが、もっと残酷なのはドライブインがないこと。三時間ぐらいで男性客が堪り兼ねてアシュラに頼み、その一時間後にやっと停まった。女性客は添乗員がどこかへ連れて行ったが、真っ暗の中で男性は草むらへ立ち小便。旅行会社がトイレ休憩のことを全然考えていないのには呆れた。
とにかくインフラと社会システムにまるで関心がない状態だ。しかしインド人は悠然として焦らない。午前二時にやっとアーグラのホテルに到着した。