最近、「経済安全保障における取締役等の経営判断」というテーマで御質問を受けたり、講演を依頼されることがあります。
特に現下の中東情勢の影響もあるのでしょう。企業としても、国から、「ミサイルやドローン、機雷等で攻撃される危険を冒してでもホルムズ海峡等を通過して原油やヘリウム等を輸送してほしい」、あるいは、「戦時下で役職員の生命・身体等に危険があっても、役職員を現地拠点から退避させずに企業機能を維持してほしい」などと仮に要請された場合に、どのように対応すべきなのか、単なる頭の体操にとどまらず、リアルに想定しておく必要性が意識されるようになっているものと思われます。
考えてみれば、第一次世界大戦後の総力戦論や国家総動員体制、1940年体制と高度経済成長等を持ち出すまでもなく、国家・社会やその安全保障は企業活動と不即不離の関係にあること、第二次世界大戦後も世界中で戦争・紛争が続いてきたことにも照らせば、企業が平時から経済安全保障という視点を経営判断において持っておくべきことは当然のことなのかもしれません。
1. 経済安全保障と企業活動との関係
経済安全保障と企業活動との関係ですが、この両者は、具体的な場面によっては、そのいずれを優先するべきなのかが問題になることがあります。
この点、上智大学の齊藤孝祐教授は、「経済安全保障の現在地(4)官・民の調整という『コスト』」(2026年4月16日付け日本経済新聞・朝刊「やさしい経済学」)で、
「…特定の製品や資源を他国に依存する経済安全保障上の懸念は多くの場合、企業の経済活動の結果として生まれます。経済安全保障政策を推進するには、物資の供給元を切り替えたり、特定国への輸出を制限したり、投資の安全性を吟味したりと、様々なアプローチが必要です…(中略)国家の安全や経済全体の成長に責任を持つ政府と、組織の利益を最大化しようとする企業との間には、優先すべき価値の順位が異なります。民間セクターは様々な業界に分かれています。さらに、大企業、中小企業、スタートアップ、研究機関など、多様な利害や規範意識を持った主体が、重要な役割を果たすようになっています。こうしたなかで経済安全保障をめぐる政策を機能させるには、官民、あるいは異なるセクター間の利害を調整しなければなりません。これは我々が、自由や民主主義を重視するがゆえに発生する「コスト」だとも考えられます。」(強調は当職による)
と述べています。
また、経済産業省・貿易経済安全保障局は、本年1月23日付け「経済安全保障経営ガイドライン(第1版)」(以下「経済安保GL」といいます)※1において、
※1 https://www.meti.go.jp/policy/economy/economic_security/260123_guideline.pdf
「経済安全保障リスクへの対応は、時に短期的な利潤最大化に相反する経営判断や、大きな経営戦略の変更を伴う可能性もあることから、現場の担当者に判断を委ねることは適切ではない。経済安全保障への対応を重要な経営事項として位置付け、経営者等自らがリーダーシップを発揮して、自社のリスクに応じた対策の推進を主導する必要がある。」(強調は当職による)
と述べ(同7頁)、図表1の通り「経営者等が認識すべき原則」として主に3点を挙げています。
このうち2点目の原則として、経済安保GLは「経済安全保障への対応を単なるコストではなく、投資と捉える」として、
「…自社の自律性・不可欠性を確保することは、企業価値の維持だけでなく、取引先や株主等のステークホルダーからの信頼や評価の獲得においてもますます重要になりつつある。したがって、経済安全保障への対応を単なるコストではなく、企業活動における将来的なコスト・損失を軽減し、持続的な企業経営を目指すうえで必要な投資と認識すべきである。」(強調は当職による)
と述べています(同7頁)。
2. 経営判断における経済安全保障
関連法令を遵守している限り※2、企業経営の中に経済安全保障の観点をどのように反映していくかは、経営判断の問題となります。企業として、どのような投資判断を行うか、どのようなリスクをとるか等について、取締役等の意思決定や業務遂行等が善管注意義務に反するかどうかは、いわゆる経営判断原則で判断していくことになります。
※2 ここで「関連法令」とは日本の外為法等だけでなく、外国法令や経済制裁等を含みます。関連法令を遵守して事業運営を行うためには内部統制システム(貿易管理体制ないし経済安全保障管理体制)を適切に構築・運用することも必要となります。
企業の目的・存在意義について、株主資本主義やステークホルダー論等といった議論がありますが、いずれの観点に立つにせよ、経済安保GLが「経営者等が認識すべき原則」について述べているところに照らしても、基本的には、企業経営と経済安全保障は矛盾するものではなく、経済安全保障に資する措置は企業経営にも資するものと考えられます。
例えば、原材料や部品等の安定調達のための調達先分散や代替調達先の確保、製品役務の供給ルートの整備・複線化、これらを含む有事に備えたBCP、イノベーション、機密情報や知財の管理の高度化(知財のオープン/クローズド戦略、外国企業等との共同研究や事業提携等における技術流出防止策等)は、経済安全保障に資するだけでなく、何よりも企業自身の存続・発展それ自体に不可欠の企業活動です。
だから、経済安全保障の観点を考慮要素の一つとして企業活動を行っていくことそれ自体は特段の事情がない限り、不合理なことではありません。
むしろ、日本企業が外国で事業を維持・発展していくにあたり、日本政府のサポートや協力の存在を無視することはできません。双方向的でなければ、こうした「サポート」や「協力」も十分に機能しません。その意味では、経済安全保障の観点を考慮要素の一つとすることには、単に矛盾しないというにとどまらず、企業活動にとって積極的な意義があると思われます。
このように考えると、国の要請の存在など経済安全保障の観点を考慮要素の一つに含めて経営判断することは、企業として著しく合理性を欠かない限り、取締役等に善管注意義務違反があるとはされないと考えられます※3。
※3 一般に経営判断原則について裁判例・学説で考えられているように、取締役等の経営判断の前提となる情報収集等が不十分な場合には、取締役等の経営判断の結果として会社に損害を与えたとき、その取締役等は経営判断原則では保護されず、善管注意義務違反があるとされることになります。だから、取締役等は、経済安全保障の観点から、自社の製品役務や技術等の市場における位置付けや軍事転用可能性、自社のバリュー・チェーンにおける脆弱性や地政学リスク等について、自社リソースや、政府や国際機関・専門家等の外部リソースを通じて詳細に情報収集することが行為規範としても求められます。
例えば、企業が外国に工場を建設したり、外国から原材料や中間財等を仕入れる、あるいは外国市場に進出する等にあたり、外国Aと外国Bの選択肢があるとしましょう。様々な事情を総合考慮して取締役等は経営判断していくことになりますが、その際に、安定供給リスク、技術移転強要の恐れ、民生品・民生技術の軍事転用の恐れ、知財・ノウハウ保護の脆弱さ等の観点を加味して経営判断することは、経済安全保障からの検討であるとともに、企業の収益性・成長性等の検討そのものでもあります。
また、A国とB国とのうち、いずれが日本にとって親密であるか、日本政府の要請や方針に合致しているかどうか等といった、一見すると企業の経営判断と直接結びつかないように見える事情も、親密国の方が日本企業としては安定的に事業活動しやすい、その国で法令・規制の突然の変更や役職員の司法当局による身柄拘束等があった場合にも対応につき日本政府の協力を得やすい等といった意味で、経営判断としての合理性を担保する事情の一つになります。このように考えると、国の要請や方針に企業がコストを負担して協力することも、企業活動として著しく合理性を欠かない限り経営判断として許容されると考えられます。
3. 企業経営と経済安全保障とが緊張・矛盾する場合
企業経営と経済安全保障とが緊張関係ないし矛盾するかもしれないケースもあります。例えば、「日本企業がA国に技術移転して工場を作る計画がある。国際的な競争環境等から企業戦略上はベストな判断だが、軍事転用可能な機微技術の移転になるため、日本政府が反対する」といった場合です※4。
※4 そのほか、例えば、政府要請に基づく、輸出制限による売上げ機会の喪失や非友好国からの撤退による調達先喪失、技術秘匿・特許非公開による国際標準化・市場シェア獲得での不利益などがあり得ます。
この場合も、当該製品の競争力に与える影響、代替的手段の有無、当該企業自身の将来の競争力の低下の可能性、軍事転用リスクの現実度や影響度等を総合的に考慮して判断していく必要があり、まさに経営判断の問題ですので、どのような結論であれ、経営判断として著しく合理性を欠かない限り、取締役等に善管注意義務違反があるとはされません。
経済安全保障の観点や国の要請に基づいて、ファースト・チョイスを断念して、セカンド・ベストやサード・ベストを選ぶということであれば、具体的な事情次第ですが、通常は経営判断として著しく合理性を欠くとされることはないだろうと思います。
なお、国の要請に従うか否か、いずれの対応をとるにせよ、株主等のステークホルダーに対する説明責任という観点のほか、注目の高い案件では特にレピュテーション・コントロールの観点からも、企業側のロジックを対外的に説得的に説明できるように整理しておく必要性があります。
他方、経済安全保障といった国の要請に基づく投資等とはいえ、企業にとっては損失を生むだけの結果にしかならず、中長期的にも、無形的な利益も含めて、その損失を超える利益を生み出せる合理的な見通しもないことが明らかな場合には、特別な事情がない限り、取締役等が経営判断原則によって保護されず善管注意義務違反があるとされるだろうと思います。
紛争時やそれに近接した非常時・緊急時の場合には、国際社会の現実は「国なければ、企業なし、国民なし」であることが否めないので、人の生命・心身の安全や自由を侵害するものでない限り、企業利益を犠牲にして国益を優先することも経営判断として著しく合理性を欠かない場合があると思われます。ただ、非常に微妙な判断にはなりますので、企業側の視点で見ると、有事法制として、米国の国防生産法のように、企業側にいわば国策への協力を義務づける法令上の根拠がある方がよいと考えられます。
また、人の生命・心身の安全や自由という法益は、経済的利益や国益と比較できるものではありませんから、紛争時や非常時・緊急時の場合であっても、人の生命・心身の安全や自由を侵害するような企業活動は、経済安全保障や経営判断の名の下に許容される余地はないと思われます。
人の生命・心身の安全や自由を直ちに侵害するものではないが、これらを危殆化する企業活動についても慎重な検討が必要です。もちろん、通常の事業活動でも一定程度の危険を伴う業務がありますが、紛争時や非常時・緊急時の場合には、危険の程度が異なり得ることや、危険それ自体をテイクするかどうかの判断も必要になり得ます。そこで、その危険が具体的危険かそれとも抽象的危険にとどまるか、こうした危険をとることでもたらされる有用性や便益等は何か等を踏まえ、許された危険や法益放棄の同意、緊急避難等によって違法性が阻却されるかどうかといった問題になると考えられます。
4. 国家間の法令等の衝突
経済安全保障も日本法や関連外国法・国際法の法令遵守が大前提となります。しかし、ときに、A国とB国との法律や政府命令等の間に企業が挟まれることもあります。古くは、貿易紛争や独禁法の域外適用等をめぐる対抗立法の問題ですが、近時も米国の対中国の貿易等規制や、これに対する中国の対抗措置などがあり、古くて新しい問題です※5。
※5 対抗立法の先例について、中谷和弘「米国法と中国法の域外適用の板挟みになる日本企業~対応をめぐって~」国際商事法務49巻4号(2021年)455頁、川島富士雄「公法規制の域外適用による管轄権競合に対する対処方法の発展過程-デジタルプラットフォーム事業者規制における問題状況への1つの視座」法律時報97巻1号(2025年)27頁参照。
一般に、法令違反は経営判断原則で保護されず、無過失の場合を除き、取締役らに任務懈怠責任(善管注意義務違反)ありとされますが、A国の法令を遵守する結果、B国の法令に必然的に違反することになる時は、いわゆる義務の衝突の問題であって、A国法令の遵守を優先するとの判断が合理性を欠かない限り、取締役等が善管注意義務違反とされることはないと考えるべきだと思われます※6。
※6 中島和穂=大和田華子=廣瀨詠太郎「経済安全保障と日本企業における事業リスク-米中対立をはじめとした国際情勢の変化を踏まえて」監査役775号(2025年)28頁以下参照。
以上

