(※写真はイメージです/PIXTA)

高齢の親を施設に預ける判断は、多くの場合、安全や生活の安定を優先したものです。しかし、住まいが変わることは、単なる環境の変化にとどまりません。食事や生活リズム、人との関わり方まで含めて、それまでの暮らしの前提が大きく変わります。家族にとっても、「任せたら終わり」ではなく、その後の関わり方が問われる場面は少なくありません。

「好きだったものを持っていこう」初めての面会

由紀さん(仮名・60歳)は、母・春子さん(仮名・87歳)が施設に入居してから初めての面会の日を迎えていました。

 

春子さんは数年前から足腰が弱り、転倒を繰り返すようになっていました。軽度の認知機能の低下も見られ、一人暮らしの継続は難しいと判断されたといいます。

 

「通いで支えるのにも限界がありました。何かあったときにすぐ対応できない距離だったので」

 

春子さんの年金は月14万円。生活自体は成り立っていたものの、見守りや介護の必要性を考え、有料老人ホームへの入居を決断しました。

 

総務省『家計調査(2025年)』によると、高齢単身無職世帯の平均消費支出は月14.8万円です。年金収入だけで生活を維持するには余裕があるとは言えず、生活環境の見直しは多くの家庭で現実的な課題となっています。

 

面会の日、由紀さんは手作りの煮物を持参しました。

 

「母が好きだった味を持っていけば、少しは安心するかなと思って」

 

施設のロビーで再会した春子さんは、以前より少し小さく見えましたが、「久しぶり」と穏やかに微笑みました。

 

「ちゃんと過ごせているんだ、とそのときは思いました」

 

部屋に移動し、煮物の入った容器をテーブルに置くと、春子さんの表情がわずかに和らぎました。

 

「これ、煮物?」

 

「そうだよ。好きだったでしょ」

 

箸を取ろうとした、そのときでした。

 

そばにいた職員が静かに声をかけました。

 

「申し訳ありません。いま食事形態を調整している段階なので、そのまま召し上がるのは控えていただけますか」

 

春子さんは最近、食事中にむせることが増えており、施設では刻み食やとろみを含めた調整を進めている最中でした。安全面を考慮すると、持ち込みの料理はそのまま提供できないという説明でした。

 

「母は食べたそうにしていたんです。でも止められてしまって」

 

春子さんは容器を見つめながら、小さく笑いました。

 

「せっかく持ってきてくれたのにね」

 

その言葉に、由紀さんは何も返せませんでした。

 

「喜んでもらえると思っていたのに、逆に気を遣わせてしまった気がして」

 

自宅で当たり前にできていたことが、もう同じ形ではできない。その現実を、その場で突きつけられたように感じたといいます。

 

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