「ゆっくり暮らそう」地方で始まった新生活
東京都内に住んでいた健一さん(仮名・67歳)と妻の洋子さん(仮名・65歳)は、定年を機に地方へ移住しました。夫婦の年金は合わせて月20万円。退職金として約2,000万円の貯蓄もあり、「これからは無理のない生活を」と考えていたといいます。
選んだのは、長野県内の小さな町にある中古の一戸建てでした。購入費用は都内のマンション売却益で賄い、ローンは組んでいません。周囲には自然が広がり、静かな環境が魅力でした。
「空気もきれいだし、時間がゆっくり流れている感じがして。ここなら穏やかに暮らせると思ったんです」
移住当初は、理想通りの生活でした。近所の直売所で野菜を買い、庭の手入れをしながら過ごす日々。都会では感じられなかった余裕を実感していたといいます。
長女の真理さん(仮名・38歳)も、「両親が楽しそうにしている」と安心していました。電話でも「順調だよ」「思っていたより快適」と前向きな言葉が続いていたため、大きな心配はしていなかったといいます。
転機となったのは、移住から1年ほどたった頃でした。久しぶりに様子を見に行こうと、真理さんが実家を訪ねたのです。
玄関を開けた瞬間、違和感がありました。
「何かおかしいと思いました。匂いというか、空気の重さが違ったんです」
室内には物が増え、整理されていない状態でした。キッチンには使いかけの食材が放置され、賞味期限の切れた食品も目立ちます。冷蔵庫の中も、ほとんど中身がありませんでした。
さらに驚いたのは、リビングの一角でした。段ボールや日用品が積み上げられ、その中に未開封の宅配品がいくつも置かれていたのです。
「何がどうなっているのか、すぐには理解できませんでした」
話を聞くと、生活の負担が徐々に増していたことが分かりました。最寄りのスーパーは車で20分。最初は運転していた健一さんも、次第に外出の回数が減り、まとめ買いができなくなっていたといいます。
「“そのうち行けばいい”と思っているうちに、食材がなくなっていったそうです」
また、ゴミ出しや掃除といった日常の管理も、思うようにできなくなっていました。庭の手入れも手が回らず、家の外も荒れ始めていたといいます。
総務省『家計調査(2025年)』によると、高齢夫婦のみの無職世帯の消費支出は月26万4,148円です。住居費が抑えられても、交通費や維持費、生活環境の変化による支出が新たに生じることがあります。数字だけでは見えない「生活の負担」は、徐々に積み重なっていきます。
