前回は、交通事故賠償の「法整備」が不十分と言える理由を説明しました。今回は、「自動車損害賠償責任保険」の問題点を見ていきます。

飛躍的に自動車が増加した「昭和30年」に誕生

我が国の現行の自動車損害賠償責任保険(自賠責保険)は、1955年(昭和30年)7月に制定された「自動車損害賠償保障法」に基づいて設けられた。昭和30年代に入って飛躍的に自動車台数が増え、交通事故も急増していた。そこで国民の誰もがしかるべき賠償を受けることができる新たな保険制度の確立が急務となった。

 

こうしたことを背景に、自賠責保険が誕生した。自動車そのものに保険をかける強制加入保険である。自賠責保険の誕生によって、交通事故被害者の賠償は飛躍的に向上することになる。

火急の対応が求められた結果・・・

しかし、一方で問題になったのが、保険の運用主体を誰にするかということであった。その公共性から保険者は国が直接担うべきであるとか、相互保険組合や相互保険会社などの第三者機関を作り、国がそこにしかるべき資金を入れるといった、いくつかの案が出された。

 

しかしながら、迅速で広範な保険契約処理が求められたこともあり、経験と実績が豊富な保険会社が保険者となり、国が保険料の一部を負担する形で自賠責保険が成立したのである。

 

背景には急激に増加する自動車事故に一刻も早く対応しなければならないという状況があった。後遺障害の等級表が戦前の工場法から誕生した労災基準に準拠しているのも、火急の中で一時的にでも対応し、しかるべき段階で交通事故被害にふさわしい独自の等級表を作ることを前提にしたという事情がある。

 

いずれにしても昭和30年代の交通戦争の時代に対応するために、自賠責保険の誕生が非常に大きな意味と役割を持っていたことは確かである。ただし、その誕生から半世紀以上が経過した今、制度上にも運営上にもさまざまな矛盾や問題点が生じていることは、すでに述べた通りである。

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    本連載は、2015年12月21日刊行の書籍『虚像のトライアングル』から抜粋したものです。その後の税制改正等、最新の内容には対応していない可能性もございますので、あらかじめご了承ください。

    虚像のトライアングル

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    平岡 将人

    幻冬舎メディアコンサルティング

    自賠責保険が誕生し、我が国の自動車保険の体制が生まれて約60年、損害保険会社と国、そして裁判所というトライアングルが交通事故被害者の救済の形を作り上げ、被害者救済に貢献してきたが、現在、その完成された構図の中で各…

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