「お母さん、明日からだからね」玄関先で手渡された封筒
田村和也さん(仮名・50歳)は、首都圏で働く会社員。80歳の母・澄江さん(仮名)は認知症の進行により、要介護2の認定を受けており、これまで同居しながら在宅介護を続けてきました。
「本当は、最期まで家で…という気持ちもありました。でも、徘徊や深夜のトイレ介助などが続き、仕事と両立できなくなってきて。母とも話し合って、地域の特別養護老人ホームに申し込みをしました」
待機期間は約1年。入所が決まったのは、急な空きが出たことがきっかけでした。
引っ越し前夜、段ボールに荷物を詰め終わったころ、澄江さんが静かに差し出したのは、古びた白い封筒でした。
「これ……あんたに、最後のお願い」
戸惑いながら受け取った封筒には、ぎっしりと書かれた一枚の手紙と、何かの控えのような紙、そして現金が入っていました。
手紙には、拙い字でこう綴られていました。
「お父さんが亡くなってから、ひとりで考えることが増えました。あんたには迷惑ばかりかけたね。これから施設に行くけど、私に何かあったとき、ちゃんとお願いできる人はあんたしかいないと思っています。
これは“その時”に使ってください。通帳とは別に少しだけ取っておいたものです」
現金は5万円。手書きの文字とともに入っていたのは、互助会の「葬儀事前契約書」の控えでした。
「自分が亡くなったとき、息子に迷惑をかけたくない」という澄江さんの思いが、そこに詰まっていました。
近年では、「エンディングノート」や「事前準備型の葬儀契約」など、人生の最終章を自分で準備する人も増えていますが、それでもなお、準備をしていない高齢者も多いものです。また、本人が契約していたとしても、それを家族が知らないままというケースも少なくありません。
「母がこういう準備をしていたなんて、全く知りませんでした。迷惑をかけたくない、という思いが悲しいくらい伝わってきて…封筒を開けたとき、思わず泣いてしまいました」
