前回は、家族で食事をする重要性について説明しました。今回は、「いただきます」と言わせることがなぜ子どもの教育につながるのか、その理由を見ていきます。

食卓の「教育機能」が崩れていないか?

食卓は、家庭の教育の場でもあります。

 

箸の使い方や食事の作法はもちろん、人が社会で生きていくためのいろいろな知恵を、親から子へと伝える絶好の場が食卓です。しかし近年は、こうした食卓の教育機能も崩れてきてしまっているように思います。

 

以前、あるニュースに耳を疑ったことがあります。学校で給食中に「いただきます」「ごちそうさま」の挨拶を徹底していることに対し、かみついた親がいました。「給食費を払っているのに、なぜそんなことを言わなければならないのか」というのです。

 

今は、「いただきます」や「ごちそうさま」の意味も知らない親世代が増えています。だから私は、ときどき寮の生徒たちに語っています。

 

「いいかい、今食べている食事が君たちの口に入るまでに、どれだけの人の手を煩わせてきたかを考えてごらん。米粒一つとったって、農家の人たちが毎日その日の天候を気にしながら、丹精込めて育ててくれたんだよ」

 

「米という字は、八十八の字の組み合わせで、八十八回も手をかけているということなんだよ。それに太陽の光、水、土の養分、それはそれはいろいろな作用によって米ができるんだね」

 

「そしてできた米を運ぶ人、売る人、買いに行く人、さらにはそれを料理する人もいて、料理をするには電気、ガス、水道、調味料なども必要になってくる」

 

「そうした人や物のおかげで今、君たちの前に食事がある。そしてよく考えなさい。食べ物になった植物や動物にはそれぞれに命があって、一生懸命に成長してくれたその命をいただくんだよ。これを食べられるのは、ご両親が寮費を支払ってくれているからだろう。それだってお父さん、お母さんの働きによってだよ。そうしたことを考えれば、自然に『いただかせてもらいます』という気持ちになるはずだ」

食べることを通じて、子どもの社会性を育てる

さらに私は、こんな話もしています。

 

「食事をいただいて、ああおいしいと感じるときがあるだろう。おいしいということは、どういうことかわかるかい? 単に味覚の問題ではなくて実はいろいろな要素があって『おいしい』と感じるんだよ」

 

「まず命のある食べ物があり、それを育てたり、料理してくれる人がいなければ食事にはありつけないね。それから経済的に安定していなければ満足な食事ができない。それならこの二つが満たされていたら、おいしいだろうか。いや、悩みがあったら食欲が落ち、どんなに豪華な食事も決しておいしくないはずだ。体が健康でないときも同じだろう。これらのどの要素が一つ欠けても、本当においしいとは感じられない」

 

「だから、おいしいと感じられたときは、いろいろなことが満たされていて、今、本当に幸せなんだと感謝することが大切だよ。ただパクパクと機械的に食べるなんて、とんでもない。食べ物それぞれに感謝すると、その栄養が私たちの体のために生き生きと働いてくれるんだよ」

 

「それがわかれば、食べるときは心から『いただきます』、食べ終わったら『ごちそうさまでした』『ありがとうございました』と自ずと出てくるはずだよ」

 

こうした話をすると、寮生たちは食事前後の挨拶をするだけでなく、食事を残すことが少なくなります。自分の食べられる分をよく考えて、適量を皿に盛って大事に食べるという習慣が身に付くからです。

 

食べるという行為の裏にどれだけ人の苦労があるか想像をめぐらし、それに感謝していただくことは、子どもの社会性を育てます。各家庭でも、それぞれアレンジしながら話をしてみてください。親が日頃感じていることや、それまでの人生経験で学んだことを交えて話をすれば、より子どもに響く言葉になるはずです。

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