(※写真はイメージです/PIXTA)

世界最高層ビル「ブルジュ・ハリファ」を擁し、ビジネスや投資で注目を集めているドバイですが、わずか半世紀前までは小さな漁村だったことをご存じでしょうか。なぜこれほどまでのスピードで発展したのか、背景を見ていきましょう。世界をフィールドに活躍する弁護士・森和孝氏が、ドバイの最新事情を解説します。

真珠漁と小規模な交易がメイン…砂漠に囲まれた地方集落

1960年代初頭、ドバイは人口わずか数千人の小さな漁村でした。真珠漁と小規模な交易で生計を立てる人々が暮らす、砂漠に囲まれた地方集落にすぎなかったのです。それが今や、世界最高層ビル「ブルジュ・ハリファ」を擁し、年間約2,000万人の観光客を迎える国際都市へと変貌を遂げました。

 

この変貌には歴史的に2つの奇跡が寄与しています。1つは、もちろん、油田の発見です。そして、もう1つがより重要で、それは、2人の国王、UAE建国の父、ザイード・ビン・スルターン・アル・ナヒヤーン(UAE大統領在位1966年〜2004年、通称はシェイク・ザイード)と、ドバイの今の国王でUAE首相のムハンマド・ビン・ラーシド・アル・マクトゥーム(UAE首相在位2006年〜現在)の存在です。

 

1892年からUAEを統治していた英国は、約150年ものあいだ「愚民政策」を続けたため、UAEには、学校もなく、識字率はほぼゼロの状況が長く続きました。シェイク・ザーイドは、砂漠の部族長出身で学歴はなかったものの、人間味と卓越した指導力で多様な部族を統率し、1971年のUAE独立の際に初代大統領に就任しました。1970年代にドバイ沖油田の石油輸出が始まると、他の王族とは異なり、その収益で私腹を肥やすことなくインフラ整備や教育政策に積極的に投資しました。その結果、1975年頃には識字率を男性50%、女性30%まで向上させました。

 

一方で、石油資源が期待に反してほとんど採れなかったドバイでは、早くから多角的な経済発展への道を模索しました。ドバイ国王のアル・マクトゥーム首長は「私の祖父はラクダに乗り、父もラクダに乗り、私はベンツに乗る。私の息子はランドローバーに乗るだろうが、彼の息子はラクダに戻るだろう」と語り、石油依存の危険性を警告しました。

 

この先見性に基づき、インフラ整備と経済多角化が急速に進められ、1979年にはジュベル・アリ港(現在世界最大級のコンテナ港の一つでドバイのGDPの3分の1に貢献)の建設が始まり、1985年には中東初の自由貿易ゾーン「ジュベル・アリ・フリーゾーン(JAFZ)」が設立。国際空港の拡充、金融センターの設立、観光業への投資など、多方面への戦略的投資が一気に展開されました。

 

この間の成長スピードは驚異的で、GDP成長率は時に年率10%を超え、人口増加率も同様に急増しました。いわゆる「ドバイ・モデル」と呼ばれる開発アプローチが確立され、世界の注目を集めるようになったのです。

シンガポール・香港との比較で際立つ「特異性」

シンガポールや香港といった先行するアジアの国際都市と比較すると、ドバイの発展の特異性が圧倒的に際立ちます。シンガポールは1965年の独立以来50年以上かけて計画的に発展し、香港は19世紀から150年以上の商業の歴史を持っていました。両都市は数十年から数世紀をかけて国際金融・貿易ハブとしての地位を確立してきました。

 

出典:EMAAR Integrated Report 2023
[写真]ドバイの中心地ダウンタウンの変貌の様子 出典:EMAAR Integrated Report 2023

 

対照的に、ドバイは1990年代までほぼ何もない砂漠地帯で、GDPはわずか110億ドル(約1.7兆円、当時の為替レート)程度でした。しかし2023年には1,167億ドル(約17兆円)へと10倍以上に急成長し、シンガポールが50年以上かけて成し遂げた発展をわずか30年で実現しました。2005年の時点でもまだ、ドバイの高層ビルはほとんど存在せず、主要な観光地もありませんでしたが、2001年にパーム・ジュメイラの建設が始まり、2010年には世界一の高さを誇るブルジュ・ハリファが完成するなど、ほぼゼロから世界的な都市へと驚異的なスピードで変貌を遂げました。

 

ドバイは先行都市の経験から学びつつ、より大胆かつ野心的なアプローチを採用しました。シンガポールや香港が外国資本や企業を誘致するために段階的に規制緩和を進めたのに対し、ドバイは最初から極めて自由度の高いビジネス環境を提供し、わずか20年で2000年時点と比べて外国企業数を15倍に増加させるなど、他の都市では考えられないペースでの国際化を実現しました。これは「後発の優位性」を最大限に活用した結果と言えます。

「効率的な官僚制度」で知られるシンガポール、ドバイもまた…

ドバイの発展を支えた最も重要な要素のひとつが、明確な国家ビジョンと長期計画です。2000年代に入ると、アル・マクトゥーム首長は「ドバイ・ストラテジック・プラン2015」を発表し、観光、貿易、金融、不動産を主軸とした経済成長戦略を明示しました。

 

その後も「ドバイ・プラン2021」「ドバイ・インダストリアル・ストラテジー2030」など、一連の長期計画が策定され、現在は「Dubai Economic Agenda D33」が推進されています。これは今後10年間でドバイの経済規模を倍増させ、世界トップ3の経済都市・観光都市、トップ4の金融投資としての地位を確立するという野心的な計画です。

 

特筆すべきは、こうした長期計画が単なる「お題目」ではなく、具体的な数値目標と実行計画を伴い、実際に実現されてきた点です。たとえば、2006年に外国人への不動産所有権開放を決定したあと、実際に同年から外国人への不動産販売が開始され、わずか数年でブルジュ・ハリファやパーム・ジュメイラのような大規模プロジェクトが完成しました。

 

この「いったことを確実に実行する」姿勢と、トップダウンの意思決定スピードが、投資家や企業に大きな信頼感をもたらしています。シンガポールが「効率的な官僚制度」で知られるように、ドバイもまた「迅速な政策実行力」で定評があり、これが持続的な成長を支える重要な要素となっています。

政府系企業(Government-Related Entities)の戦略的活用

ドバイの発展モデルを語る上で欠かせないのが、政府系企業(GRE:Government-Related Entities)の戦略的活用です。エマール(不動産開発)、エミレーツ航空(航空会社)、ドバイ・ホールディング(多角的投資)、ドバイ・ワールド(国際貿易・港湾管理)など、多くの主要企業が政府の完全または部分的所有となっています。

 

これらの企業は、純粋な民間企業ではないものの、商業的原則に基づいて運営され、国際市場で資金調達し、国際的人材を雇用しています。政府の戦略的目標と商業的成功のバランスを取りながら、大規模なインフラプロジェクトや産業開発を主導しているのです。

 

このモデルは、シンガポールのテマセク・ホールディングスやGIC(政府投資公社)に類似しており、国家資本を効率的に活用して経済発展を促進する手法です。しかし、ドバイの政府系企業はより直接的に不動産開発やインフラ建設に関わっており、都市の物理的変貌に大きく貢献してきました。

 

香港とシンガポールも政府が経済に深く関与しており、両国の政府系企業は世界的な成功を収めています。特にシンガポール航空はテマセク・ホールディングスが約55%を保有する政府系企業で、1947年にマラヤン航空として設立され(1972年に現在の形となり)、現在では160機の機体を保有し、34カ国75都市へ就航しています。収益は2023~2024年度で約20億シンガポールドル(約3,000億円)に達し、年間約3,600万人の乗客を輸送しています。

 

一方、ドバイのエミレーツ航空は1985年に設立されたより新しい航空会社で、わずか10億ドルの初期投資から始まり、ドバイ政府が100%所有する航空会社です。現在では260機以上の航空機を保有し、80カ国150都市へ就航、2023-2024年度には約5,190万人の乗客を輸送し、収益は約47億ドル(約7,000億円)に達しています。

 

一例ではありますが、このように、エミレーツ航空はシンガポール航空と比較して、設立からの歴史は約40年も短いものの、機体数では約2倍、就航都市数でも約2倍、年間収益では約2.3倍という急速な成長を遂げています。シンガポール航空が高品質と収益性のバランスを重視するのに対し、エミレーツ航空はより急速な規模拡大と「ドバイハブ」構想の実現を優先し、わずか40年弱の歴史で世界最大級の国際航空会社へと成長しました。その大胆な投資戦略と急速な拡大が、ドバイの国際的地位向上に大きく貢献していると言えるでしょう。

ドバイも、ずっと順風満帆だったわけではない

そのドバイもずっと順風満帆だったわけではなく、一度危機を味わっています。ドバイの持続可能性を疑問視する声は、2008年の世界金融危機とそれに続く「ドバイ・ショック」の際に頂点に達しました。不動産価格の下落と政府系企業の債務問題により、多くの観測筋はドバイの終焉を予測しました。

 

しかし、アブダビからの財政支援もあり、ドバイは予想を上回るスピードで回復。2011年以降は再び成長軌道に戻り、不動産市場も活況を取り戻しました。この回復プロセスでは、アブダビ・ドバイ体制の堅牢性を示すだけではなく、規制の強化や市場透明性の向上など、制度的改革も進められました。

 

この危機とその克服は、ドバイの経済が単なる「砂上の楼閣」ではなく、深い回復力を備えていることを実証し、ドバイは観光、物流、金融など多様なセクターに根ざした実体経済を構築しており、一時的なショックへの強い耐性が示されました。

 

また、COVID-19パンデミックへの対応でも、ドバイは迅速なワクチン展開と効果的な感染管理により、世界に先駆けて経済活動を再開。2021年には「ドバイ・エキスポ2020」(コロナ禍で1年延期)を成功裏に開催し、192カ国から約2,400万人の訪問者を集めました。他の多くの都市が観光客減少と経済停滞に苦しむなか、ドバイはパンデミック後の経済復興でも世界をリードしたのです。

 

こうした危機からの回復力は、シンガポールや香港にも共通する要素ですが、ドバイはより短期間で劇的な復活を遂げた点で注目に値します。これは、政府の迅速な意思決定能力と、変化する環境に適応する柔軟性の証と言えるでしょう。

 

 

森 和孝
Eminence Luxe(ドバイ不動産仲介会社)Founder/CEO
One Asia Lawyers 国際弁護士(UAE法、シンガポール外国法、日本法)

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